齋藤薫の馨る女 EX
2019.2.23

美人ほど損する時代?【齋藤 薫さん連載 vol.83】

美しい人が、その美貌だけでもてはやされた時代は終わり、SNSなどでその人間性などがすぐに浮き彫りになってしまう現在、どんなことに気を付ければよいのでしょうか?その心の持ちようについて、薫さんに伺います。

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ミスコンもアメリカンファースト?ミス・アメリカは、最大の地雷を踏んだ

権威あるミス・ユニバースの世界大会で起きた、各国ミスたちの間のいざこざが、先ごろちょっとしたニュースになった。いや、いざこざと言うより、いじめか人種差別か、ミス・アメリカが、べトナム代表とカンボジア代表に対し、英語ができないことを嘲笑するような発言をSNS上に流して、大炎上となったのだ。

ただそこは、本来が完璧な綺麗事の世界。侮辱された方が、した方をかばう形で収束したというが、今回のことでミスコンにはそうした低レべルのいじめが存在することを露呈してしまった。あの光景は、アメリカの青春映画でハミ出しっ子を虐める美人3人組そのもの。やっぱりドラマのようと思わざるを得ない。だから、もっとビックリしたのは自分の侮辱発言を自らインスタにあげてしまうこと。一体何がしたいのか??自らの品位を下げてまで他国のミスの評価を下げたかったのか?結構なフォロワがいる人、みんな自分の味方と思ったの か?なんでも見せてあげなきゃと言う自己顕示欲?何より、トランプ政権下「アメリカファースト」がミスの軽口にまで行き渡ってしまったってこと?どちらにしてもあまりに愚か。想像力がなさすぎる。今の立場においてはもちろん、美人に生まれた特権を考えても、彼女は最もしてはいけないことをした。大して悪びれることもなく謝罪をして事を済ませているけれど、彼女が彼女の人生において失ってしまったものを考えると、逆 に心が激しく痛むほど。

そもそもミス・ユニバースはアメリカが本来の主催国。日本どころではない注目度で、ミスは毎年大きな話題になる。彼女はすでに指折りのセレブの1人になっていたはずで、輝かしい未来が待っていたはず。どうして未来を自ら汚してしまうのか。皮肉にも彼女は小児科の看護師。そこにも戻れないかもしれないのに。美人は、美人の分だけ、“善い人”にならなければいけないと言う人類レべルのルールが存在するのを知らなかったのだろうか?美人は、善い人、心が美しい、人間性が素晴らしい、それをわざわざ証明しない限り、美人は意地悪に見える宿命にあるのだから。

昔から、“美人は意地悪”という、根拠なきセオリーがあって、少女漫画で、青春映画で、さまざまに伝承され既成事実にされた時代もあるくらい。ただそれも、この世の不公平感を公平に保とうとする自然の摂理に近いもの。美人に生まれた人はそのアドバンテージをどこかでマイナスに還元して、バランスをとらなければいけない義務と責任があるのだ。従って、ミス・コンテストが“内面的に素晴らしいこと”を美人の条件とするのも、決してお飾りのコンセプトではない。ミス・ユニバース審査基準は「外見の美しさだけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視され、社会に積極的に貢献したいという社会性を備えた“オピニオンリーダー”」と“内面重視”を大きく掲げる。実際の審査結果がそうであるかどうかは、議論の余地はあるけれど、そうしなければいけない道理がそこにはあるのだ。

美人は性格が悪いと言う定理を覆し、美人至上主義というモノを翳りのないものにするために。美人は人格的にも立派と言うことをなんとしても証明しなければならな いのがミスコンなのだ。そんな大会の生命線を根底からぶった切った罪はあまりにも大きい。ともかく美人は美人の分だけ、謙虚になって、世の中に献身的に尽くしていかなければいけないと言う使命がある。その分だけ人生でめちゃめちゃ得をしているのだから。得しっぱなしは許されないことを、美人は肝に命じたい。

皮肉にもミスコンが教えてくれた美貌こそ危険を孕んでる

ところで、屈辱発言のターゲットとなったべトナム代表。大会のスピーチでも自分の生い立ちを話して会場を大いに感動させたというが、そもそもこの人がミスべトナムに決まった時点からべトナム国内ではこの人の報道一色だったとか。ミス・アメリカは、そこに、嫉妬を覚えたのか? なぜよりによって、こういう女性をターゲットにしてしまったのか。このべトナム代表は、山岳少数民族のラデ族の出身。インドネシア系の先住民族であり、褐色の肌にエキゾチックな顔立ち。孤立した社会で生活も貧しく、彼女も子供の頃からコーヒー農園で働き、牛の世話やまき割りなどを手伝っていたという。特に女の子は学校へは行かずに早くから働き手となり、14歳で結婚して子供を産むのが普通。この人も両親に早い結婚を望まれたが、どうしても勉強がしたくて14歳で街に出る。その時点ではべトナム語も話せなかったとか。ホーチミンでメイドなどで学費を稼ぎながら、経済学の企業金融を専攻。卒業後は銀行に就職して、その収入は、実家の借金返済に充てた。その後にスカウトされ、さ らなる収入を得て、村の生活向上に貢献したいとモデルに転身。そしてベトナム代表にまで上り詰めたという、超苦労人だったのだ。

そうした経歴の持ち主だけに、ベトナムでは既にヒロインとなっていて、期待を一身に集めていたのだ。この騒動の後CNNの取材に対し「この大会に参加している人全員、お互いを愛し、尊敬しあっています。アメリカ代表は私が英語で苦労していることを知っていて、関心を持ち、愛情を示してくれました」と答えていて、まさに大人の対応。もちろんミスとして当然の、見本となる対応、審査を意識しての言葉だったと言う見方もあるけど、こういう苦労と努力をしてきた人だから、経験から自然に出た言葉なのかもしれない。結果として最後の5人に残った。紛れもなくこの人の勝利。ひどい侮辱を受けても、世の中やっぱり、「損して得とれ」なのだと教えてくれた。

世界中のネット配信を通じて、彼女は優勝以上の共感を得たことになる。アメリカ代表は多くを失い、べトナム代表は多くを得た。「人の悪口を言うなかれ」が、こんなにもわかりやすい形で結末を見せてくれるとは。そこで改めて、美貌とは何か?この2人の運命を果てしなく分けたのが、ズバリ美貌である。エッ、それどういうこと?美しさはマイナス要素をよりマイナスに見せ、プラス要素は何倍もプラスに見せる。それが美貌。美貌こそ、良いものも悪いものも何倍にも強調してみせる不思議なファクターであること、知っておくべきだろう。だから美人で、しかも知性がないと、もう致命的に知性がなく見える。非常に恐ろしい要素だと言うことを、肝に銘じておきたいのだ。

しかも昔は「天は二物を与えず」が基本だったから、知性がなくても美人であるだけで充分世の中渡っていけた。しかし今、「天が二物も三物も与える」時代、知性がないことは美貌を台無しにしてしまう。じゃぁ逆は? 美人じゃないけど知性がある……これはあり。ちゃんと人が魅力的に見えるバランスだ。知性は、美貌がない穴を埋めることができるが、美貌は、知性がない時の穴を埋められないのだ。いよいよ美しさの意味が変わってきたことに気づかなければ。極端な話、美しさとは、クセのあるスパイスみたいなもので、おいしいものはより美味しくするけれど、まずいものはもっとまずく感じさせる、正直あってもなくてもいいが、逆に食品がなかったら何の意味もないもの。美貌はスパイスに過ぎなくなってしまったと考えた方がいいのかもしれない。逆に美貌こそたちま ち人を奈落の底に突き落とす危険を孕んでる。その現実を、皮肉にも世界的なミスコンが証明してくれてしまったのである。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
美容ジャーナリスト/エッセイスト。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ総会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』3月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

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