健康・ボディケア・リフレッシュニュース
2012.9.27

大高博幸の美的.com通信 (118) 『菖蒲』『危険なメソッド』『みんなで一緒に暮らしたら』 試写室便り No.31

偉大なる心理学者ユングとフロイト。
彼らの運命を変えた美しき女性患者ザビーナ。
三人の知られざる危険な関係を描く人間ドラマ。
『危険なメソッド』 (イギリス・ドイツ・カナダ・スイス合作映画)
10月27日からロードショー。
詳しくは、dangerousmethod-movie.comへ。

「1904年、チューリッヒのブルクヘルツリ病院に勤める29歳の精神科医ユングは、精神分析学の大家フロイトが提唱する“談話療法”に刺激され、新たな患者ザビーナに その斬新な治療法を実践する。まもなくユングはザビーナの幼少期の記憶をたどり、彼女が抱える性的トラウマの原因を突き止めることに成功。しかし医師と患者の一線を越えてしまったふたりは秘密の情事を重ねるようになり、ザビーナをめぐるユングの内なる葛藤はフロイトとの友情にも亀裂を生じさせていく。」(プレス資料より抜粋)

心理学には かなりの興味を持っているためと、フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)とユング(マイケル・ファスベンダー)の時代がかったポートレート、及びザビーナ(キーラ・ナイトレイ)の“1970年代以降のエスティ・ローダーのモデル風”ポートレートとの違和感に惹かれ、試写を観ました。
結果的には、錯乱or 狂気に近い興奮状態を演じるキーラの過剰な程の“熱演”シーンが極端に目立っていて、映画全体のまとまりやインパクトに欠けているという印象を僕は持ちました。コレは、監督者の計算不足によるものという気がしています。

しかし、当然ながら精神分析に関する描写が専門用語と共に度々出てくるので、心理学入門者にとっては興味深い作品となるはず。
僕自身が一番良かったと感じたのは、ユングの妻(サラ・ガドン)の性格描写。妻として女としての自信のなさ&一抹の不安感と、資産家の娘としての確固たる経済的な自信…。そのアンバランスなバランス感覚が さり気なく表現されていて、とても印象的でした。
(c)2011 Lago Film GmbH Talking Cure Productions Limited RPC Danger Ltd Elbe Film GmbH. All Rights Reserved.


仲間と共に ひとつ屋根の下、
笑って泣いて、そして
ときどき喧嘩して
セ・ラ・ヴィ♪
だからこそ、人生は
とっても愛おしい。
『みんなと一緒に暮らしたら』 (フランス・ドイツ合作映画)
11月3日からロードショー。
詳しくは、cetera.co.jp/minnaへ。

喧嘩しながらも仲良く付き合ってきた5人の仲間達の笑いと涙の物語。ジェーン・フォンダ、ジュラルディン・チャップリンらの“名老俳優”が演じる仲間達の危なっかしい暮らし振りを、ハラハラしたり呆れたりしながら見守らずにはいられない96分の小品です。転んでケガをしたアルベールさん(認知症が進行しつつある)に犬の散歩係として雇われる好青年役を、『コッホ先生…』のダニエル・ブリュールが演じているというのも この映画の魅力のひとつ。

一番良かったのはラストシーン。詳しくは書かずにおきますが、酸いも甘いも噛み分けられる者達ならではの寛大さと、子供のごとき単純さ&可愛らしさとが一体化したような言動に、笑いながら泣かされました。

J・チャップリンは、目元が ますます父親(喜劇王のC.C.チャップリン)に似てきて、今更ながらビックリ。しかし、口角横の3~4本の縦ジワが とても深くなってきています。『リファカラット』でコロコロ・ケアを続ければ随分良くなるはずと思うのですが、彼女自身は その縦ジワを、大切にしたいと考えているのかも しれません。

J・フォンダは、スマートな体形を保っていて、元スター女優の面目躍如。まだ39歳だった頃に主演した『ジュリア』(’77)では既に肌の張力の衰えが目立っていましたが、久々に観た この映画では、小鼻の横辺りから耳に向けて“リフティング”を施こしたのか どうか、頬にハリが感じられました。彼女のファンの方達は、多分 ホッとするのではないかと思います。
(c) LES PRODUCTIONS CINEMATOGRAPHIQUES DE LA BUTTE MONTMARTRE / ROMMEL FILM / MANNY FILMS / STUDIO 37 / HOME RUN PICTURES


美しい田園、移ろう季節――ポーランド文学の名作を、巨匠アンジェイ・ワイダ監督が映画芸術に見事に昇華。
『菖蒲(しょうぶ)』 (ポーランド映画)
10月20日からロードショー。
詳しくは、shoubu-movie.comへ。

大河を望むポーランドの或る小さな町(時代は1958年頃と思われる)。マルタ(クリスティナ・ヤンダ)と医師である夫(ヤン・エングレルト)は、第二次大戦中のワルシャワ蜂起で ふたりの息子を亡くして以来、心に深い傷を負ったまま暮らしてきた。しばらく前から体調が優れない妻マルタを診察した夫は、妻が重病で余命いくばくもないと知るが、妻には告知できずにいる。
マルタの体調を心配して、古くからの親友(J・ヤンコフスカ=チェシラク)が遠方から訪ねてきた。だが久々の再会も、マルタにとっては過去の無為な生活を振り返る機会にしかならなかった。そんな時、船着き場の賑わいだカフェで、マルタはひとりの美しい青年に目を奪われる。青年は、マルタが とうの昔に失った輝くばかりの若さを体現していた。そして彼は、亡くなった当時のマルタの息子達と ほぼ同じ年頃でもあった。
数日後、マルタは河辺で その青年(パヴェウ・シャイダ)を見かけ、「きょうは おひとり?」と声をかける…。

J・イヴァシュキェヴィチの同名の短篇小説を巨匠アンジェイ・ワイダ監督が映画化した作品ですが、本来の物語(上記)と共に、マルタ役のクリスティナ・ヤンダの現実のモノローグ(実生活上の夫の、発病から最期の日までの追想の独白)と本作の撮影風景が交差するという、おそらく かつてなかった“三重構造”によって成り立っています。
ファースト・シーンはヤンダのモノローグ、次いで撮影現場から、そのまま『菖蒲』のシーン(本来の物語)に入って行き、それらが綾織りのように展開するという構成で、この映画は感性豊かな大人の観客向き…。第59回ベルリン国際映画祭で、映画芸術の新しい展望を切り開いた作品に与えられる“アルフレード・バウアー賞”を受賞しました。

ここに描かれているのは、人間の根元的・普遍的テーマである“生と死”。そして、マルタと夫と親友、さらに女優クリスティナ・ヤンダの揺れ動く微妙な心理。生命のみずみずしさ、若さの輝き、老いと病、大切な人に対する愛情と配慮、そして不慮の事故…。上映時間は87分。

透き通るように美しい抒情的な画面は、色彩のトーンも構図もフォーカスも、すべてが真実見事です。カメラが ゆっくりと右へパンして静止するというショットが幾つかあったのですが、パンしている間の1コマ1コマさえもが、まるで絵画のように美しい。全体的に際立っていたのは緑色の扱いで、あらゆる緑の階調がテーマを視覚化するかのように撮影されています。

タイトルの『菖蒲』は“聖霊降臨祭”の日に飾る花で、「春が終り、夏到来のお祭り…。いのちの祝祭なの。菖蒲を集めてきて飾るのよ」というセリフが、青年(名はボグシ、20歳)にマルタが教える形で語られます。この菖蒲にはグリーン系の芳香があります。しかし、その茎を裂いたり擦ったりすると沼の泥土のような腐敗臭が出てくるところから、この作品に於いては“死の象徴”としても扱われているようです。

青年に対するマルタの感情は、恋心そのものというよりも、恋心的な心理に加えて失った息子達の面影を彼に重ねて見るような、母性愛的心理が入り混じったもののように僕には感じられました。この点、C・オータン=ララ監督の『青い麦』(’54年頃にヒットしたフランス映画)などとは全くの別物です。

ほんの短かいショットでしたが、“開けずの間”にマルタと夫が入る場面が非常に印象的でした。扉を開けた瞬間、ふたりの少年がボール遊びに興じながら庭へ向かって走って行く“幻し”の後姿が一瞬映し出され、フワッと消える…。さらに、マルタと夫が部屋を後にすると、ボールだけが庭先から ゆっくりと転がりながら部屋に戻ってくる…。この2つのショットは、僕の目には大変ロマンティックに映りました。

出演者は全員が完璧な適役で、モチロン好演しています。マルタ役のクリスティナ・ヤンダは、スティル写真では硬化したように老けて見えますが、スクリーン上では数段若々しく魅力的でした。

マルタのような女性は日本では相当稀有な存在だと思いますが、それでも僕は、彼女のように豊かに成熟した真の大人の女性を、20人ほど知っています。昔、僕がメークアップアーティストとして仕事をしていた頃、マルタのように知的で毅然としていて、しかも母性的な雰囲気が美しい年配のお客様が、僕には顧客として ついていたのです。今、改めて考えると、それは とてもとても幸運で、幸福なコトだったなぁと思います。
(c) Akson studio, Telewizja Polska S.A, Agencja Media Plus

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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