ゲスト・吉本ばななさん|作家LiLyの対談連載「生きるセンス」第1話「小説に救われた夜」
「年齢を重ねるということはどういうこと?」。楽しいことばかりではないし、かといってつらいことばかりでもない。人生の先輩に訊いてみました。「 私たちに生きるヒントを授けてください」と。40代からの人生が輝く"読むサプリ"。 2人目のゲストは、作家の吉本ばななさんです。 【作家LiLy対談連載「生きるセンス」第2回ゲスト・吉本ばななさん 】
ありとあらゆる差別がなくなる未来を信じていたあの頃のバイブル
『キッチン』と題されたチューリップ柄の文庫本が母のキッチンに飾ってある。吉本ばななさんのあまりにも有名なデビュー作だが、当時の私はまだそのことを知らない。それは目になじんだ背景のような子供時代の記憶で、本は今でも同じ場所に飾ってある。
「あぁ、お母さん。ありがとうございます」
ばななさんのその一言でうっかり私は少し泣きそうになってしまって、込み上げてくる熱いものをなんとか奥へと押し込むところから対談が始まった。
「キッチンは、今、改めて読み返してみても、80年代に書かれたものだとは思えないほどにジェンダーレスで、ボーダーレスで、それこそ今の時代が描かれていることに驚いてしまいます……」
「当時はいろんな男の人に、こんな草みたいな男はいない!とかさんざん怒られて。そんなことはないじゃない?って私は思っていたんですけど、文壇バーみたいなところでおじさんにこづかれたりとかして。でも、ほんとうにだんだん草みたいになってきましたもんねぇ(笑)」
81年生まれの私はちょうどその頃4、5歳で、「女の子だって理由で我慢しなきゃいけないことは何もないのよ。勉強だって男の子以上にしたっていいくらいなんだから!」という母に育てられていた。
世の中はまだまだ「男らしく」「女らしく」の時代であったように思うけれど、性差別によって悔しい思いをたくさんしてきた母は「これからは時代が変わるのよ!」と、その頃からいつも言っていた。
本当に、そうなった。ただ、『キッチン』の中に出てくる、女装をしながら”ママ”としてお店をやっている父親や、家族ではないけれど家族のように互いを支え合う、いわゆる既存の枠にはまらない人と人との関係を世の中が認めようと大きく動き出したのは、LGBTを含めてここ数年のことのように思う。
時代が向かってゆく先を、
こんなにも読めるって凄すぎる……。
当時からばななさんのまわりには既にジェンダーレスな空気があったのか、と思わず私は聞いてしまった。
「その時は80年代で、ちょうどバブルが始まる頃くらいかな。なんとなく時代を見ると、こんなふうになっていくんじゃないの?と思って。もしかしたら、シャンパンだけ飲んで生きていくような人たちも出てくるんじゃない?って。好きに生きればいいじゃん!って。私は自分の頭の中にあることを書いているわけではなくて、時代を描いているから」
ハッとさせられた。私自身は、自分の頭の中にあることを書いているタイプの作家だからだ。時代を見て、流れを感じ、その先にあるリアリティまで描き出す大作家であるばななさんに、「今」はどんなふうに見えているのだろう。
「時代のほうが、やっとばななさんに追いついてきましたよね。それは(世界にとって)最高にいいことだと思います!」と、心の底から伝えると、
「あ〜、あんなに怒られたのになぁ。でも、(時代が変わって)ざまあみろ!」ってイタズラっぽくばななさんは笑った。そのとき私は一瞬、性別を含めたありとあらゆる差別から解放される未来を信じる気持ちから、その小説を常に自分の視界の中に置いておいた当時の母の想いも重ねて見てしまって、また、気を緩めると泣きそうになってしまった
揺れない自分がブレまくったあの日に私を助けてくれたもの
いきなり泣き出すわけにはいかないと思うと私はどんどん早口になっていて、気づけば一方的に母のことをたくさん話してしまっていた。
まるで、初対面かのようなスタートだけど、ばななさんとの出会いは7年前のこと。今回は、コロナ禍になる前の初夏の昼に、お腹が痛くなるほどの”爆笑ランチ”をご一緒させていただいたぶりの再会なのである。それでも、ばななさんを目の前にして涙腺がゆるんでしまうのは他でもない、ばななさんの小説に救われた人生二度目の夜を過ごしたばかりだったから。
一度目は忘れもしない、24歳のとき。私は上海に向かう飛行機の中でひとり、嗚咽しながらばななさんの文庫本『体は全部知っている』を胸に抱きしめたのだ。比喩でもなんでもなく、本当に。
そして二度目は、今年の春。子供たちが寝静まった後の暗い寝室の中、Kindleで『ミトンとふびん』を読みながら、今度はとても静かに泣いた。気づけば大きくズレはじめていた自分の「軸」が、もとの場所へと戻ってゆくのを感じていた。
一度目の時の私の悩みは「結婚」。
二度目は「子供の教育」だった。
普段、私はあまり揺れない。誰が作ったのかも分からない規定のルールに沿うのではなく、自分の信じる道を自分で決めて歩いていくタイプ―――だと自負しているにも関わらず、突然とんでもなくコンサバな自分が顔を出すことがある。つまり、「より多くの人が右を選んでいるのだから、やはり自分も右に行くほうが安全なのではないか」という考えに支配されそうになる。ただ、「その道こそが素晴らしいと思っているわけでは全くない」ので、自分の中にあるダブルスタンダードに引き裂かれそうになる。が、正解が分からないのでそのままグラグラ揺れてしまう。
人生で経験した二度の大揺れ。
救ってくれたのは、どちらもばななさんの小説だった。
吉本ばなな:‘64年生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。1987年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30カ国以上で翻訳出版され、国内のみならず、海外の文学賞も多数受賞。近著に『ミトンとふびん』『私と街たち(ほぼ自伝)』など。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。noteはこちら。
LiLy:作家。’81年生まれ。神奈川県出身。N.Y.とフロリダでの海外生活を経て上智大学卒。25歳でデビューして以来、女性心理と時代を鋭く描き出す作風に定評がある。小説、エッセイなど著作多数。instagram @lilylilylilycom noteはこちら。
文/LiLy 撮影/須藤敬一 ヘア&メイク/YOSHIKO(SHIMA)(吉本さん)、伊藤有香(LiLyさん) 構成/三井三奈子(本誌)
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。