齋藤薫の馨る女 EX
2017.12.21

SNSから読み解く愛される人の基準【齋藤 薫さん連載 vol.69】

そもそもSNSに投稿するということは、自分のことを他者に語りたいという感情=自己顕示欲を含んでいるもの。一方で炎上して、一方で共感される、その違いはどこにあるのでしょうか? 今の時代、生活の一部になってしまっているSNS、発信する全ての言葉に責任を持つ、正しい人間である術を薫さんが教えます。

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炎上するひとか、しない人か、その違いは一体何なのだろう?

 今、人のタイプを語る上で、1つ無視できなくなっているのが、炎上するかしないか、という基準である。数年前はそんな基準、地球上のどこにもなかったわけで、時代とともに人の評価基準も変わっていくという証。

 例えば、かつて一般社会でも日常的に使われていた“空気が読めるか、読めないか?”も、それまでなかった尺度。明らかにこれは、当時多くの男女が3日に1度はやってたはずの“合コン文化”が作った物差しで、男女2人の差し向かいでは決して生まれない。男女4人でもまだ生まれない。男女3、4人ずつという、団体としても微妙な人数において気持ちの駆け引きが必要だったからこそ生まれた評価基準。小さな発言1つで空気を動かしてしまう可能性があるからこそ、社会人としての人間を評価する極めて重要な基準となっていったのだ。

 炎上しやすいか、しにくいか? 言うまでもなくSNS至上主義が作った典型的な新基準で、既に“炎上商法”なる言葉も生まれていることから、まさしく一過性のものであり、普遍的では全くないけれど、でも実はここに愛される人物かどうかを分ける、とても大切な教えが隠れていることに気づいて欲しいのだ。

 それもツイッターからインスタまで、すべては任意の自己表現にまつわる是非であり、そもそも自分のことを他者に語りたいと言う感情は多かれ少なかれ自己顕示欲を含んでいる。ただ自己顕示欲そのものがノーと言われているのではない。自我をどのように表現するか、そのバランス感覚が厳しく問われているのである。これは人間関係において実に重要なファクター。自分のことを語りなさいと言う課題があったとして、その内容は好感を得るか、嫌われるか、2つに1つ。人間性の是非をはっきり分けてしまう。

 人間、優しいふりをするのは簡単。いい人のふりをするのも簡単。むしろ難しいのは、自分のことを語る時、相手にいかなる印象をもたれるか、これは世間の人々に愛されるか愛されないか、究極の基準となるものなのだ。だから考えた。炎上する人は、なぜ炎上してしまうのか。

 例えば、たびたび炎上することで有名なハリウッド女優にグウィネス・パルトローがいるけれど、この人は一方でライフスタイルが女性たちの憧れを一身に集めるカリスマでもあったりする。だから最初から世間の良いお手本であろうなどとは全く考えていないキム・カーダシアンのような人の方がいちいち炎上はしにくいと言う現実があるわけだが、グウィネスが炎上するのは、ひとえに相手の立場に立つという計算が欠けているため。私は子供に手作りのものしか与えない、と言っただけで、大炎上してしまうのだから。自分の暮らしの優雅さを語ることに罪はない。けれども賢い女は、瞬時に相手の立場で自分を見て、相手が羨ましさ以上の感情をわずかでも感じることは決して口にしない。その境界線を1ミリでも超えると、それはたちまち自慢になってしまうから。

 嫉妬や不満は常に比較から生まれる。だから相手が自分の場合に置き換えて比較できるような話をしないこと、それが嫉妬をかわす、絶対の鍵なのだ。つまり自分の事をたくさん話しても、3つに2つは失敗だったり大変さだったりと苦労話にし、相手が羨ましさ以上の感情を持た
ぬようコントロールする。そういう計算ができない人が炎上する。それだけのことなのである。

自分が発信する言葉の全てが今、“あなたは正しい人間か”を世に問うている
 ただし、苦労話で炎上してしまう人もいる。本来は共感を呼べる最大の決めて。私にも同じ事があった、私も同じ事で悩んだという…。ただこれも、ある一線を超えると、 その苦労話が自慢に聞こえ、共感どころか逆に反発を生んでしまうケースは少なくないのだ。
例えば、こんな人がいる。私ちょっと風邪気味で……、と言うと、大丈夫?ではなく「実は私も風邪気味で……」と返してくる人が。つまり何でもすぐ自分の場合に置き換えて、相手の話を自分の方に無理やり持っていってしまう。苦労話をしているのに炎上してしまうのは、基本的にこういうタイプ。自分に何かネガティブなことが起きると、突然自分中心になって、困っている人の気持ちはわずかも想像できなくなり、自分が世の中で1番不幸になってしまう。言い換えれば、自己中心的な人物かどうかは、そういう時にこそ見えてくるものなのだ。

 そのメッセージが世界的に話題を呼んだ今は亡き小林麻央さんは、自分が置かれた状況をきちんと語りながらも、周囲の人々を心から気遣う言葉が多く、それが感動を呼んだ。自分の辛さもかえりみず、他者を気遣う…、正直、死を覚悟している人にできることじゃない。それはまさに、究極の“人の傷みが分かること”。自分の苦悩を語る上でも、“人の傷みが分かる人”の言葉かどうかが何より問われてしまう。他人の言葉の是非に、恐ろしいほど敏感な時代になった。何かを発信するすべての人に対し、ところであなたは正しい人間か? とチェックしてしまう時代に…。

 そういう意味で“人の傷みが分かること”を大前提としたのが、言うまでもなく被害者へのメッセージ。ここでは、“自分”というものがわずかも表に出てはいけない。少しでも出ると、たとえちゃんと慈愛の気持ちがあったとしても叩かれる。被害者を気遣う言葉は本当に難しく、発言する人の心の中まで精査されてしまう。まあ心があるから発した言葉が、裏目に出てしまうことも多々。大災害に際しては多くの芸能人がメッセージするから、そこで見事なまでに明暗をわけたりするのだ。その一言に人間性が思いっきり出ているからである。

 奇しくも市川海老蔵が、大災害に際して、自分には何もできない、このぐらいしかできないから、自分のブログを掲示板に使って! と発信したことが絶賛されたと言う。さすがはアメブロNo・1の人。余計な事を言わないのが、じつは“人の傷みがわかる人の判断”という事だから。

 話は変わるけど、ブログ人気の高い辻希美さんの、「泣きそう」と言うタイトルのブログが、ランキングの1位になっていて思わず見てしまった。子供のお稽古事やら何やらがいくつもあって、送り迎えで死にそうに忙しい、加えてご飯の支度に家事もあるのに体調不良、貧血でもう泣きそうと言う苦悩だらけのブログだった。うわ、子供にそんなにたくさん習い事をさせているの? うっかりするとそういう反感につながりそうな発信でもあったのに、不思議に共感性を感じた人が多かった。今時の母親は皆やむにやまれず同じような選択(習い事だらけ)をしていて、だから同じように、大変だけどやらざるを得ないと言う、やり場のないジレンマを思わずツイートしてしまう気持ちが分かってしまう、だから、炎上しない。子供を持つ母親が皆日中、一人泣き出したくなってしまう現実を、誰に言うでもなしに言葉にしてしまいたくなる、“母親の辛すぎあるある”がリアルに伝わってくるからだ。

 そしてここで問われたのは、嘘っぽくない事。今の時代、発言からスッピン画像まで、嘘っぽい事、嘘っぽい発言に対する制裁はものすごい。嘘っぽい事は全て自己顕示につながるからだろう。だから大災害の時のお見舞いメッセージは、少しでも偽善的にうつるとたちまち炎上してしまうのだ。怖い世の中になった。でも、それによって人間が正される時代になったとも言える。発信する全ての言葉で、あなたは正しい人間か、これが日々問われているのである。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレッ クス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

美的1月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子

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