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2018.3.25

“色気のある女”になるためには――【齋藤 薫さん連載 vol.72】

ハリウッドでのセクハラ論争を皮切りにセクハラ問題が取りざたされている昨今、女性たちの間でも男性に対しての意見が分かれています。 もちろん、明確なセクハラは糾弾すべき、たださらりとかわすのも”女性の色気”につながる? 難しいこの問題、人生の先輩でもある薫さんに教えていただきます。

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アムールの国、フランス女性的言い分、
「女は口説かれてこそ女」という発想にこそ色気が宿る?

今、女性たちの間でもセクハラ論争が起きている。ご存じのように、ハリウッドでは今、実力者によるセクハラが次々と告発され、訴訟に発展するばかりか、当事者がたちまち職を失うという事態にまでなっているが、これがハリウッドのみならず、業界を問わず世界中に波及したことで、そこに反論を唱える女性たちが逆に現れているのだ。
世の男から、”女性を口説く権利”まで奪ってしまうの?そういうメッセージを送ったのが、フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴだった。著名な作家や学者など、フランス女性100人が、男性に「口説く自由」をとの声明を『ル・モンド』紙に掲載して、これがまた批判を呼び、賛否両論、意見が真っ二つに分かれて新たな騒動に発展しているのだ。

もちろん「セクハラ自体は犯罪」としながらも、程度の差もなく糾弾され失職する、それが今、魔女狩りのようにバランス感覚を欠いている事態に、甚だ疑問を感じると訴えたわけだが、マット・デイモンが同様の発言をしたら大炎上。少なくとも今、男性は黙っているしかない状況。だから、100名の連名で女性たちが立ち上がったのだろうが、この女たちの論争、どんな風に感じるだろう。つまりアメリカ女性とフランス女性、あなただったらどちらに共感を覚えるだろう。
でもこうなった背景、とてもよくわかる。フランスはやはりアムールの国。アモーレの国イタリアと同様、女性と見れば口説くのが男たちのマナーと言うお国柄、そういう伝統が根こそぎ否定されてしまうのはちょっと悲しいと言うことだろう。そして女性たちも、「男性に誘われてこその女」、という意識を持ち続けてきたから、性的なアプローチの何もかもを否定してしまうことに疑問を持っても不思議ではないのだ。

実は、日本のNHK交響楽団でもよく振っているクラッシック音楽界の巨匠、フランス人指揮者のシャルル・デュトワも、オぺラ歌手にエレべーターの中で抱きついた?とかで、芸術監督を務めるオーケストラから停職処分などを受けたりしている。音楽界では有名だったドンファン的なこの人のキャラが、どこか官能的な演奏につながると言うことで、それもひっくるめて愛されていた人。そういう才能までが否定されるのは残念すぎると言うことだろう。
いずれにせよ、ちょっとエッチでユーモラスな男性も、非常識ならば糾弾すべきだが、それがセンスの良い言動ならば許されて良いのではないかと言う女性が、恋愛至上主義の国には少なくない訳で、逆にそういうものをさらりとかわして、スマートにその場をまとめるのが女性のセンスであり色気であると言う価値観は絶対にあると思うのだ。
カトリーヌ・ドヌーヴ等はたぶんその典型。世界一の美女と謳われた人は、並み居る男性を掻き分けて生きてきたはずで、でもちょっとエッチな誘いも相手に恥をかかせず交わしてきた歴史があるからこそ、それこそが”男女の機微”であり、人生のエッセンスであると言う主張なのだろう。

それはそれで、女性の魅力の1つである事、私たちにも充分理解ができる。一方で、勇気を出してセクハラを糾弾するのもまた女性の魅力の1つ。じゃあ、日本はどうだろう。テリー伊藤的なオジさんのジョークも、さらりとかわせる感性と嫋やかさ(たおやかさ)を持つ方が、やはり日本的だったりするのではないだろうか。

男の”ちょっかい”も、知性と感性で柔らかくかわす、
“壇蜜”的な懐の深さこそ、”人間の色気”の正体

とは言え、セクハラ糾弾旋風も、日本までは届かない。それどころか、美人ジャーナリストが顔出し実名で告発したレイプ疑惑さえ、真相はなかなか明らかにならないままになっているのだ。一見平等に見えても、実は女性の地位が低い国。女性の地位の主要国ランキングで、日本は114位という不名誉な現実があるのだ。でもその分、日本女性は芯が強く、我慢強い。まさに、戦うより耐えてしまう。小さなセクハラ発言をびしっと跳ね返す事もできずにいる女性が多いのではないだろうか。だからと言って、フランス女性みたいに、ジョークを器用にかわしたりもできない。確かに理想的には、毅然と突っぱねるか、器用にかわすか、せめてこの二者択一で行きたいところなのだけれど。
幸い今の日本では、そういう意味でギラギラした男が極端に減ったけど、その代わりオジさんたち世代は、よけいギラギラして見える。悔しいけれど、そういうオヤジ達の”ちょっかい”を巧みにかわせる柔軟性は持っていた方が得策と言う見方もある。それこそフランス女性みたいに……。

そこで改めて注目したいのが、”壇蜜”という人の存在。言うまでもなく、セクシー路線の意味を変えた人。一方では、際どい露出もありの人だけれど、この人が一世を風靡したのは、脱ぐことではない、極めて知的なコメントやエッセイ、お笑い芸人も舌を巻くほど巧みに笑いを取るセンス。それはそれは見事な才能の持ち主で、そういう人だからこそ、どんなセクハラまがいのちょっかいも、相手が唸るようなセンスのいい返しができる。それも、知性と感性があるからこそできること。コミュニケーション能力がズバ抜けていると言っていい。
言い換えれば、そういう大きな”女の懐”こそを、本当の意味の”女の色気”と呼ぶのではないかと思う。色気のあるなしの境界線は、まず、今すぐ恋愛ができるかどうか、人を好きになれるかどうか、にかかっている。そういう可能性を常に持っている、どんな瞬間も宿している人にこそ色気が香るのだと思う。 そうした意味からも、女性を口説きたいと言う男の思いをいきなりはねつけずに、一度投げられたボールを受け取ってから、ふわりとした優しいストロークで相手に返せるゆとり、懐の深さはむしろ”人間の色気”につながるかもしれないと思ったのだ。

もちろん明確なセクハラとは、やっぱり断固戦うべき。でも、男性からのアプローチを、すべて一緒くたにして一刀両断に切り捨てるスタンスでは、この”人間の色気”と言うものがどうも生まれにくい気がする。
セクハラギリギリの言動で有名なイタリアのべルルスコーニ元首相が、「女性は口説かれたら嬉しいはず。だから男も、エレガントな口説き方をしなければいけないね」と語って、これまた物議をかもしている。正直、この人が言うとエクスキューズにしか聞こえないけれど、実際のところ、女は良識ある男にオシャレに口説かれたら全く悪い気はしないわけで、 そういう会話をゼロにしてしまうのは、やっぱりちょっと惜しい気がする。「口説かれてこそ女」……は、女が美しさを保っていく上での重要なテーマ。少なくとも、エレガントにスマートに口説かれることには、しなやかな心を持って接しよう。それがそのまま女性としての魅力につながるに違いないのだから。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。
女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『”一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど”服”で人生は変わる』(講談社)、(The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』4月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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