【向坂くじらさん連載】見えないものの美|そうでないものの美 Vol. 02
詩人・小説家の向坂くじらさんによる連載が『美的』6月号よりスタート! 第2回目のテーマは「見えないものの美」です。
Vol. 02/見えないものの美
運針
かつて 母が布いっぱいにちりばめた
星空の刺繍を指におぼえて育ったからか
夜いっぱいの星たちだって 裏がえしたら
一本の糸で結びあわされているような気がして
駅前では若い女の子どうしが
手をつないだまま言いあらそいをしている
男の人がベビーカーを抱えている
あなたがわたしを待っている
ねえ こころも裏がえしたら
わたしたちのあいだの
暗やみにあるのではないかしら
ちっぽけな体の中なんかではなく
そう言いたくて 言いたくて急いでいく
わたしがひとつの星

ひとりで外を歩いていると、わたしにはときどき、自分の体がこの上なく美しいものに思われる。そして、そのことに自分自身でおどろく。おかしなことに聞こえるかもしれない。もちろん、前を向いて歩いているあいだは、自分の体はほとんど見えない。それでもなお、美しいと思う。おでこや頬に風が吹くと、冷たさで顔がはっきりしてくる。だいたい歩くという動作の、わたしが意図しているものであるのに、同時に体自身がひとりでに動いてもいるかのようなふしぎさ。そして、そのときわたしはわたしを含め、だれにも見られていない。それが、わたしを魔法のように美しくすると思えてならないのだ。
そこからつい、では、見る・見られるという関係を外れたところにも美しさはあるだろうか、と考えたくなる。そのようなものを思い浮かべるのはむずかしい。ひとつのメロディはどうだろう。けれど同じように、だれにも聞かれずして美しい音のひびきもあるかもしれない。それからまた、ひとつの心はどうだろう。だれにも明かされず、ひとりの胸にしまい込まれた心のうちにも、美はないのだろうか。そんなふうに考えをめぐらせていると、そうだ、ないはずがない、と、わたしはまっすぐ立ちたいような気持ちになる。鏡の前に立ってしまえば欠点だらけの体で、しかし踊ってみたいような気が起こってくる。
\過去連載もお見逃しなく!/
「そうでないものの美 」
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。
さきさか・くじら/慶應義塾大学文学部卒。国語教室「ことぱ舎」主宰。詩集『とても小さな理解のための』(百万年書房)『アイムホーム』(百万年書房)など多数刊行。小説『いなくなくならなくならないで』『踊れ、愛より痛いほうへ』(河出書房新社)が芥川賞候補に選ばれている。