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2017.11.22

安室奈美恵に学ぶ2つの意外!【齋藤 薫さん連載 vol.68】

電撃引退を発表した安室奈美恵。常に輝き続け、コンサートで最高のパフォーマンスを見せる彼女のファンは、一般人だけでなく、芸能人にも多いことで知られています。誰からも愛される彼女の魅力とはいったい何なのでしょうか? 今月は安室奈美恵から教わった意外なこと、ものと題して薫さんが熱く語ります!

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安室奈美恵に教わった意外なこと①……
本当の意味でのキレイの定義を気づかせたもの
忘れもしない。本当に美しい人とは誰なのか、美しさとは何なのか、この極めて素朴で、極めて難解な疑問にぶち当たり答えを探していた時、ちょうど世の中にアムラーを自認する女性たちが溢れていた。もちろんアムラーもいろいろだったが、その進化系とでも言うのか、コギャルやガングロというカテゴリーも生まれてきて、どこか混沌とした状況だった。そんな街を歩いていて、不意に1つの本質が見えた気がしたのだ。〝アムロちゃんと、どんどんエスカレートしていくアムラーたちの差とは何なのか?〟。同じ方向を向いているのに、明らかに違う。何かが決定的に違う。まさにそこに、美しさというものの真実の定義が隠れている気がしたのだ。

そう、そこで突然浮かんできたのが、「清潔感」という言葉だった。清潔感?今さら? と言うかもしれない。なぜそれが本質なの? と、その使い古された言葉に違和感を覚えるかもしれない。そんなの当たり前じゃないと言う人もいるかもしれない。でもこの時、私は確信を持ったのだ。美しい人と、そうでない人の決定的な差は、清潔感の有無にあること。しかも全く新しい発見でもしたように、ちょっと興奮したほど。

私はそれ以来ずっと、「美しさを分けるのは全て清潔感である」と言い続けている。例えば赤い口紅も、それを塗って清潔感が生まれるならばそれは成功、でも清潔感に欠けてしまうなら失敗。くしゅくしゅっと無造作なまとめ髪も、ダメージあるデニムも、極端な話、厚化粧ですら、清潔ならそれでいい、清潔に見えればちゃんと美しいのだ。有無を言わせず明暗を分けるのは清潔感なのだと。

それも、当時の安室奈美恵は言葉にしてしまうと、かなり弾けてた。茶髪のダウンヘア、ダークな肌色、太いアイラインにボリュームマスカラ、リップラインだけが何段も濃いめのグラデーションリップ、何よりウルトラミニに厚底ロングブーツ……と言うように、全てが清潔感に反する選択だった。それをただそのまま真似したら、どうしたって清潔感はなくなる。誰がどう見ても、 そこに清楚な表現は1つもないのだから。

ところが、アムロちゃんだけはそれでもなお全身が清潔に見えた。正直これは、奇跡に近いこと。はっきり言って、全身どこを見ても清楚な人が、清潔感に溢れているのはむしろ当然のこと。そこにはあまり感動がないけれど、こういうバンプ系の外見にもかかわらず清潔感があるからこそ、見事と思った。だから、安室奈美恵という人は女のレジェンドともなったのだと思う。

ましてや清潔感は、極めて壊れやすく、年齢を重ねるだけで簡単に壊れていく。衰えること、それ自体が〝清潔感を失うこと〟、と言ってもいいくらい、肌はもちろん、体型からも髪からも、声からも、全身の隅々から清潔感が失われていくのが、老化なのである。でもこの人は既にアラフォーとなっているのにもかかわらず、その清潔感がわずかも失われていない。むしろ、20代の頃よりもより清潔に見えるほど。

女性の美しさとは、イコール清潔感。美人とは、どんな日も目を奪うほどの強烈な清潔感を放つ人。そして、正しい若さとは、年齢を重ねても重ねても清潔感が失われないこと。この永遠に変わらぬ正解を、私に教えてくれたのは、まさしく安室奈美恵という人だったのである。

 

安室奈美恵に教わった意外なもの②……
そもそもなぜこの人を嫌う人がいないのか?
それにしてもなぜこの人は、女性にここまで驚異的な支持を得るのか? もちろん、顔が小さくて、足が長くて、圧倒的に可愛くて……理由はいくらでも挙げられるが、割に多くの人が気づいていないのが、この人の人間性にまつわる凄さ。

どういうわけだか、〝歌姫〟と呼ばれる人には、洋の東西を問わず、よくも悪くもとんでもない人が多い。マドンナも、レディー・ガガも、マライア・キャリーも。とりわけ、ブリトニー・スピアーズは、本当にいろいろやらかしてきたが、そもそもがああいう風にステージ上でありえない大喝采を受けるような仕事は、まともな人間でいること自体が難しいのだろう。ましてや若いうちに成功を遂げて、黙っていても巨額のギャラが毎日どっさり入ってくるような高みに置かれれば、どうやって生きたらいいか解らなくなるのだろう。

ご存じのようにブリトニーはスキャンダルのデパートの如き人生を送ることになる。でも才能があるからまた再ブレイクしていて、それだけにここまで成功しなければ、もっとまともな生活が送れてたのにと逆に気の毒に思うほど。
アーティストはパフォーマンスも含めてライブで姿を見られ、やれ太っただの劣化しただの、もういろんなことを言われてしまうから、外見に対する執着がまた余計に女性としてバランスを崩してしまいやすいのだ。

一方で、一度頂点に立ってしまうと、常に世間から注目を浴び続けていたくて、危なくなるタイプも少なくない。本来は普通の人だったはずなのに、いたずらに自己顕示欲を引き出されてしまうのだ。ましてや歌姫と言うのは、女優と違って一度頂点に立ったら、 自分からその席を降りたりはしない。もし、自分が物凄い人間で、自分には誰もかなわないのだと思っていたら、仮に何らかの衰えを感じていたとしても、こんな早く引退することはなく、いつまでも私が女王よと言い続けただろう。そういう立場を自ら離れてしまうから、この人はとてつもなく潔く見えたのだ。

安室奈美恵だけは、10代で頂点に立とうが、歴史を変えようが、日本中の女子が自分の真似をしようが、全く冷静に自分のスタンスを変えなかった。わがままを言うでもなく、贅沢をするでもなく、毎夜遊び歩くでもなく、次々浮名を流すでもなく、豪邸に住んで自慢するでもなく、結局テレビに出ることも減らし、ひたむきにコンサートをこなすと言う選択をしてきた。

なぜそれができたのか? 真面目? 実直? ストイック? それはもちろんだけれど、この人はむしろ本当の意味で謙虚なのだ。こんなに持ち上げられている人はいないのに、自分を見失わないし、変わらないし、少しも傲慢にならない。奇跡的に謙虚な人。そもそも大げさにへりくだったり、私なんか全然駄目で……そう言い続けるのが謙虚なのではない。真の謙虚とはもっとさり気ないもの。ただ黙って控えめに生きていく、人に見せない謙虚こそ、本物。

少なくとも今は、自己顕示欲をぶつけ合う時代。ブログやインスタでいくらでも自己表現ができる時代だけに、自己顕示欲が覚醒しやすい時代でもある。なのに、顕示欲が必要以上に強い人はむやみに叩かれたり炎上したりしがち。ずばり世間は顕示欲が強い人をあまり好きではないからなのだ。しかも自分をわざわざ控えめに見せたり、謙虚を装おうという人にも敏感に反応して退けようとする。そうではなくて、自分を大きく見せるでも、わざとらしく小さく見せるでもない。安室奈美恵のような、〝人に見せない謙虚〟、それがもっとも愛される世の中なのである。結果として、この人を悪く言う人はいない。嫌いな人も誰もいない。これもまた1つの奇跡。本当によくできた人格、今更ながら見習わなければと思った。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレッ クス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

美的12月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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