普通の会社員だった彼が、伊勢丹1階フロアの中心で「コスメが好きだー!」と叫びたくなるまで(前編)【インタビュー】
この記事を読もうとされている方は、何かしら美容に関心があると思うが、自分が最初にスキンケアやメイクを始めたきっかけや経緯を覚えているだろうか。 女性の場合、周囲やメディアの影響で始める人も多いはず。だが、『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。」(以下、「電父」)の著者・伊藤聡さんは、まさにこのタイトル通りのきっかけで、コスメを使い始めたという。 本書には、ドラッグストアのスキンケアコーナーにすら立ち入るのを「恥ずかしい」「わからない」と躊躇していた伊藤さんが、美容の深淵へと溺れていく様子がつぶさに描かれた笑いと感動のドキュメンタリーであり、「美容」の魅力が詰まった一冊だ。 また、「美容誌を毎月購読するようになった」伊藤さんの鋭い『美的』評も掲載されている。ここはせっかくなので、本誌編集長による取材という名目の美容雑談をお願いした。
髭剃り後のケアは、村上春樹が教えてくれた。
著者の伊藤 聡さん。
美的編集長・中野瑠美(以下、中野) 「電父」は、伊藤さんがスキンケアを始めたきっかけから沼に至るまでの体験が詳しく描かれていますが、元々、全く美容に興味はなかったんですか?
伊藤 聡さん(以下、伊藤) 私は自分と同じような「スキンケアに興味のない中年男性」に読んでほしくてこの本を書いたのですが、興味がない‥‥というか、考えたこともなかったんです。自分に「スキンケアをする」という選択肢があることを。
中野 女性の私でも、親から教わるようなことはなく、肌悩みが出たら身近な人や雑誌を読んで、トライアンドエラーで学んでいった感じです。
伊藤 私くらいの年代の男性は、それすらない。例えばニキビで悩んだとしても何を使ったらいいかを友達と話し合うこともありませんでしたし、髭剃りにしたって自己流です。
中野 髭剃り後、ヒリヒリしたまま何もつけずに放置している男性も多いはず、と書かれてましたが、そうなんですか!?
伊藤 私が「薬局にはアフターシェーブローションというものが売っていて、髭剃りの後につけるといいらしい」と知ったのは、村上春樹の小説からです。
結構、髭剃りの描写が事細かに描かれているので、「あ、髭を剃った後に何かつけるといいんだ」と知りましたね。でも、メンズ向けと言われるアイテムはなんだかスースーして却って痛かったので、無印良品で買った化粧水を使っていました。でもスキンケアというよりは、痛みを抑えるものとして。
中野 それが、緊急事態宣言が解除になり、久しぶりに電車に乗った時、窓に映るご自身の顔を見て‥‥。
伊藤 10か月間、テレワークでほとんど外にも出ず、食生活も乱れましたし、運動もしていなかったので体重が増え、身なりにも気を遣わなくなっていました。
ある日、帰宅する電車の窓に映っている自分を不意に見て「20年以上前に死んだ父がいる」と思ってしまった。
もちろん、歳相応におとろえつつある自覚はありましたが、節制を欠いた10か月で自分が想像していた以上に加齢が加速していた。焦りました。
ドラッグストアのスキンケアコーナーは迷宮!
中野 でも、そこからなぜスキンケアに? 運動不足ならジムに行くとかもありますよね。
伊藤 熱心にジムに通って運動していた時期もありますし、サウナも好きですが、今回は運動だけでは解決できない問題があると思いました。
潤いに欠ける肌、目周りのシワやくたびれた顔つき、何より自分の身体を労わっていない人に特有の“自暴自棄さ”が、不健康な印象をもたらしている。
正直、お金の力を使ってでもなんとかしたいと思いましたが、これまでジムで自分を追い込んで痛めつけるか、面倒になって何もやらないかの極端な二択で、でもちゃんと続けられる第三の選択肢を探さないといけないと感じました。
中野 それがスキンケアだった、と。
ご自身の電車に映った顔を見られて、ドラッグストアに行かれる決心をされたんですよね。ただ、最初は圧倒されて何も買えなかったと「電父」にありましたが‥‥。
伊藤 何も買えずに帰り、ひとり反省会をしました。ドラッグストアなら生活必需品や薬を買うのに週1ペースで寄っていたのでなんとかなるかと思ったのですが‥‥。
中野 ならなかった。コスメ・スキンケアフロアに足を踏み入れたことがなかく、陳列がメーカーごとなのか化粧水、乳液などのアイテムごとかも謎で迷われたし、セラムってなんだ?価格がなんでこんなに差があるんだ??と迷われている姿が印象的でした。
伊藤 私に取っては迷宮、カオスでした。
それに、華やかなスキンケアコーナーは女性が多く、中年男性は居づらかった。すごく恥ずかしかったんです。商品知識の無さと、訳のわからない恥ずかしさ。でも、自分は変わると決めたので、これを克服しようと思いました。
中野 その後、身近な人に「まずは保湿」のアドバイスをもらって、ドラッグストアで化粧水、乳液、美容液(メラノCC)を購入して無事リベンジする訳ですが、初めてのスキンケア体験で、感動を得られた訳ですね。
伊藤 まず、自分を労ってあげているような感覚。これが新鮮でした。そして、塗る順番もよく分かりませんでしたが、寝る前にたっぷり化粧水と乳液、美容液を塗ったら、朝起きて顔を洗った時に自分の肌がもちもちして柔らかく、ふっくらしていたんです! なんだこれは!と衝撃を受けました。
見た目がキレイになるという変化はもちろんですが、「1日の中に何かいい香りのする液やクリームを塗りながら、音楽を聴いたり配信ドラマを見たりする」という余裕のある時間が生まれたことが大きかったですね。
これまでは、自分を痛めつける(ジム)ことや、我慢しておく(髭剃り後のケアをしない)といった選択肢しかなかった中年男性の人生を、素敵なもの、いい香りのものが彩ってくれて、「自分を労る時間」というものができた。ものすごい驚きの体験でした。
「見られる側」になる気がして怖かった。
中野 伊藤さんが、その感動からずぶずぶとスキンケアの沼に沈んでいかれるドキュメントは、ぜひ「電父」を読んでいただくとして、個人的に興味深かったのが、伊藤さんがドラッグストアのスキンケアコーナーに立ち入るのが最初「恥ずかしかった」とおっしゃっていたところです。
伊藤 恥ずかしかったですね。でも、長いあいだライターを続けてきた習性から「なぜ恥ずかしいと思ったのか」をメモに書いて分析していました。そんな気持ちで何かしても、途中で嫌になってしまうと思ったので。
中野 容姿を気にして、加齢に抗おうとしているのは「男たるもの、容姿なんか気にするべきじゃない」的な深層心理が働いた、とありました。あと、「見られる側になろうとしている」気がして抵抗があった、という分析もすごく腑に落ちました。
伊藤さんは、男女の関係性において、男は「見る側」だから「見られる側になろうとしている」行為をすることが、男社会における暗黙のルール違反である気がしたと。
伊藤 いや、そうなんですよ。「見た目なんて気にするな」「男は中身で勝負」みたいな、大雑把な人生訓を私は根拠なく信じ込んでいたんですね。
中野 男性の美容は盛り上がってきていると言われますが、まだ大人の男性が無関心だったり抵抗がある人も多いのは、そういう理由からなんだなと思いました。
若い男性は、割と親からケアを教わったりコスメをシェアしてもらって、やっている人も増えた印象ですが。
伊藤 もったいないですよね。いい香りがする上に肌をキレイにできるコスメを日々使うことで、確実に豊かになる気持ちがあります。
中野 恥ずかしさはどうやって克服されたんですか?
伊藤 いやもう‥‥それまで、鏡をまじまじと見たことがなかったのですが、自分の肌の状態を隅々まで見て、毛穴やたるみ、シワにショックを受けて、恥ずかしいという気持ちより、なんとかしたいという気持ちが優ったんですよね。
中野 なるほど! 結果、楽しまれてるから良かったですよね。
女性でも、ケアやメイクに同じように恥ずかしさを感じる瞬間があったり、抵抗感を感じる方もいると思います。本当にそういう謎な思考は消えて欲しい。
美容って、人に強要することでもなければ恥ずかしいと思うことでもないのに。同好の士で「そのリップ可愛い」「肌調子いいね、何使ってる?」みたいな会話は楽しいですが、基本的には自分自身が心地よければいいことだと思うので、自己満足でいい。そういう風に美容を好きになってほしいなと思います。性別関係なく。
伊藤 本当に、自分が気持ちいいのが一番ですよね。今ではデパートのカウンターにも足を運ぶようになりました。
来週5月18日に(後編)を公開予定。コスメカウンターに足を運ぶようになった伊藤さんのその後は・・・?
著書紹介
『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』
(伊藤 聡著/平凡社刊)
「男がスキンケアなんて恥ずかしい」。そう思っていたアラフィフ会社員が、あれよあれよと美容沼にハマっていく過程を描いた体験記。男性美容とセルフケアをめぐる心の機微を描いたエッセイは、中年男性が自らのスキンケアに初めて真剣に向き合った記録というだけでなく、なぜ男性はセルフケアを敬遠するのかという問いからジェンダー・バイアスにも触れており、美容を介して、「世界」が変化していく姿が描かれている。
撮影/フカヤマノリユキ
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。