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2022.9.13

奇跡の65歳・天野佳代子、美のヒストリー「美容が好きという思いがキャリアと美肌を導いた」|美的GRAND

コンプレックスを抱えながら、いつも誰かになりたかった。アイドル、モデル、女優……。自分の中の美のアイコンを目指して、 キレイを育ててきた天野佳代子の美のヒストリー。

「美容が好き」という思いがキャリアと美肌を導いた

物心ついた頃からずっと、化粧品は天野さんにとって、見ているだけで幸せになれるものでした。社会人になると、仕事帰りの楽しみはデパコス巡り。「ひとつの百貨店で全店回るのは悪い気がして」、ディオールは日本橋三越、シャネルは渋谷西武…と、ブランドごとに行く場所を変え、美容部員に新商品情報やメイクテクニックを教えてもらう―。美容ライターになったときも、女性誌の仕事から離れていた時期も、化粧品を買い続けた天野さん。その原点は、「自信のなさ」でした。

「子供の頃からくせ毛に悩んだりと、自分は素敵な人とは程遠いという自覚があって、いつも誰かになりたかったんです。憧れの人が使っているコスメを使うと、その人に近づけて、そんな自分を好きになれる気がして、『同じものを買っていいですか』と聞いて真似していました」

美容ライターとして美容情報をリサーチし、数々の美容法をマスターして実践し続ける中で、気づけば「奇跡の60代」と言われるように。

「肌は、手をかけてあげると応えてくれるという実体験があったからこそ、美容の力を借りて、自信のないところをひとつひとつ克服していきました。だから、実は私にとっては全然“奇跡”ではないんです」

美容へのひたむきな思いが導いた、自分らしさとそのキャリア。美容エディター、美容雑誌の編集長を経て、今、「美容評論家」という新たなフェーズに。誰もが羨む美肌を育んだメソッドを発信しています。

「美容を好きでい続けたからこそ、今の私があります。スキンケアも同じで、今の自分を作るのは日々の積み重ね。かつての私のように自分に自信がもてなくても、何歳からでも美肌になれることをお伝えしていけたらと思っています」

10〜20代
アイメイクで美に目覚める。フリーライターとして会報誌や女性誌の仕事に携わる

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22才。『JJ』で葉山ロケへ向かう途中。セットに時間がかかったサーファーカット。

東京・麻布に生まれ広尾で育つ。小学生の頃から広尾商店街の化粧品店に行くのが大好きだった。高校生のとき、雑誌『セブンティーン』の記事を読み、資生堂のアイブロウペンシルを購入。初めてのアイメイクで美容の楽しさに目覚める。ふわふわのくせ毛に悩まされ、漫画雑誌『少女フレンド』編集部に悩み相談の手紙を送ったことも。21歳、初めてストレートパーマをかけて感動。それは、ダメージヘアとの闘いの始まりでもあった。当時、漫画家を目指し『セブンティーン』にてデビュー。同時に多くの人気歌手のファンクラブ会報誌をフリーライターとして制作しながら、雑誌『JJ』の特派記者としても活動。自然と漫画家を断念することに。美容への興味と情熱は尽きず、百貨店の化粧品売り場に足しげく通う。結婚を経て『JJ』を辞めた後、『CanCam』で念願の美容ライターに。初仕事はアイメイクの記事。『プチセブン』(休刊)では「柊クスコ」名義で小説家デビュー。多忙な日々で目の下にできたシワに衝撃を受け、アイケアを始める。

ターニングポイント

21歳…歌手のファンクラブ会報誌を作る。『JJ』の特派記者に
28歳…『CanCam』や『プチセブン』のライターに。

ハマった美容

・資生堂のアイブロウペンシルを使ったアイメイク
・ストレートパーマ
・ディオールのクリーム

30代
会報誌の仕事が多忙となり、美容ライターを10年休む。楽しみは海外出張でのコスメ購入

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32才。『プチセブン』で小説家としての近影が必要になり撮影。トレンドの厚化粧とくるん前髪。

ファンクラブ会報誌を制作していたCHAGE and ASKAが、『SAY YES』などのヒットで大ブレイクし、書籍やツアーパンフレットなどの制作も任されるように。海外でのツアーやレコーディングにも同行。雑誌の仕事が難しくなり、33歳から美容ライターの仕事を10年間休む。その一方で『プチセブン』(休刊)では「小森クスコ」(後に柊クスコに改名)名義で小説家デビュー。海外出張先では化粧品を買うのが楽しみに。20代はファンデーションをほとんどつけていなかったが、この頃は、花王ソフィーナのクリームタイプとパウダータイプのファンデーションを重ねづけしたり、リップは今や伝説のイヴ・サンローランの19番が定番だったりと、メイクは濃かった。トレンディドラマ『抱きしめたい!』の“W浅野”に憧れ、ヘア&メイクを真似ていたことも。

ターニングポイント

32歳…『プチセブン』にて小説家デビュー
33歳…CAHGE and ASKAほか会報誌の仕事に専念

ハマった美容

・花王ソフィーナのファンデーション
・ランコムのローズウォーターなど海外出張時にまとめ買い

40代
『美的』創刊メンバーに。仕事は充実するも、更年期症状に悩まされる

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48才。ロクシタンの取材でプロヴァンスに。朝食中、同行のカメラマンが撮影。

美容ライターの仕事への思いが募り、女性誌での仕事を再開。10年のブランクで不安もあったが、毎日千本ノックのように撮影しては原稿を書いた。その実績と美容への飽くなき情熱から、編集デスクとして美容雑誌『美的』創刊に携わり、美容ページの担当に。担当した表紙に松田聖子さんを起用した号は初めて完売。この頃から更年期症状が出始める。会議や電車での移動中、頭皮から大量の汗が流れて止まらなくなるなどの症状に悩まされ、ホルモン治療を始める。48歳のとき、夫ががんで他界。夫の闘病中、完治させたくて玄米菜食に変えると、自分の方がスッキリやせて健康になっていた。20代でUVケアをしていなかったツケがシミやくすみとなって現れ、美白ケアに力を入れる。

ターニングポイント

43歳…女性誌の仕事を再開。美容ライターとして再始動
44歳…『美的』創刊メンバーに。編集デスクに
48歳…夫が他界。更年期症状に悩まされる

ハマった美容

・美白と角質ケア
・ホルモン補充療法の治療

50代〜
『美的GRAND』創刊編集長に。「奇跡の60代」として著書もたちまち重版

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54才。シャネルの取材でパリに。ココ・シャネルが住んでいたカンボン通りの部屋にて。

初期の『美的』は、アーティスト色の強いメイクの紹介が多い中、読者がすぐ真似できるようなより実用的な誌面作りにシフト。かゆいところに手が届く記事が評判となり、以来、美容誌実売13年連続No.1の礎を築く。また、読者憧れの女優を表紙に起用するようになり、話題に。自身と同じ、年齢肌が気になる世代向けの美容雑誌を作りたいと提案をしていたところ、40代以上を対象とした『美的GRAND』の創刊編集長に。『マツコ会議』(日本テレビ)の出演で「奇跡の62歳」(当時)として注目を集め、著書『何歳からでも美肌になれる!』(小学館)はたちまち重版。’22年秋からは本誌のエグゼクティブビューティディレクターとして、美容評論家として、自らの美容法などを発信する側に。

ターニングポイント

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52歳…『美的』での実用的なメイク記事が実売13年間No.1の起点に
61歳…『美的GRAND』創刊編集長に

ハマった美容

・奇跡の美肌を作る、「天野メソッド」のスキンケア

美容業界をリードする、美しき賢者4名が発信
天野佳代子って、どんな人ですか?

天野さんが心から信頼する4人の美容賢者に「天野佳代子の魅力」を語っていただきました。そこには、キレイの本質、自分らしく輝きながら生きるヒントがたくさんありました。

まるで年齢を逆行するように、どんどん魅力を増す“規格外の人”!

美容ジャーナリスト/エッセイスト

齋藤 薫

文字どおりの年齢不詳! でも従来の年齢不詳とは違う。単なる若さ美しさだけではない、そのはつらつとした生命感、才気煥発なお仕事ぶり、それ自体がもう年齢の法則を超えている。全く規格外の人なのだ。失礼ながら一般的にはもう定年を迎える年齢を、まるで逆行するように、どんどん勢いを増し、どんどん魅力を増していく。“年を重ねる程輝く”って言葉にするのは簡単だけれど、現実に光を増やす人は稀。それも上辺を磨くのではない、人間力から輝きを放つ姿は、ちょっと感動的ですらある。

「美容」は生き物。誰が伝えるか、どう操るかで、同じ製品も100点にも0点にもなる。そういう意味で1品1品にこれ程生き生き命を吹き込める人はいないし、その恩恵を、時には何倍にもして自らをまぶしく照らす。そういう人が美容雑誌のディレクターであるのは、やはりひとつのミラクルだ。雑誌を作る人は、選んだテーマを料理するシェフに例えられるけれど、それは同じ素材を使っても、料理の仕方で味も見た目も満足度も、まるで違ってくるから。この人の場合は、さながら素材選びからソムリエ、ギャルソンまでやってのける名物シェフ。おしゃべりは面白く、小説家としての活躍もある筆力と独創性、人を癒すような美しさ、何をとっても人を惹きつけて離さない、マルチタスク時代の、なんでもできるパフォーマーなのだ。少なくとも美容メディアにこんなスケールの大きい人はいなかった。

でも何より素晴らしいのは、そんな風にすごいキャリアを積み、奇跡の60代と呼ばれ、絶大な人気を誇るのに、全く気負いがないことである。いつも自然体で、すがすがしい程自分を飾らない。ビューティに関わる者として、どうしてこんなに力みがないのか? 不思議な程。自分を良く見せようという計算が1mmもない。『ズルいコスメ』(『美的』連載)で読者の気持ちをしっかりとつかんだ人なのに、全然ズルくない。いやそのすがすがしさこそズルイのかもしれず、だから熱狂的なファンが増えて当然なのである。この先、年を重ねる程に人々の心をつかむはず。100年時代の私たちを、どうかずっと引っ張っていってほしい。

「キレイ」を忘れさせる程、生きる力=「色気」に溢れる人

美容エディター

松本 千登世

天野佳代子という人がずば抜けてキレイな人であると、私は後に、しかも、かなり時間がたってから認識することになります。それは、天野さんとの「出会い」があまりにドラマティックだったから。

遡ること、10年以上前。パリへのプレスツアーに参加しました。佳代子さんを含め、メンバーは4人という少人数。パリに到着したのは真夜中で、私たちはそのままひとつの部屋で朝を待つことになりました。メイクを落としたり、部屋着に着替えたり、なんと、同じベッドに横になったり(!)。ようやく空が明るくなり始めた頃、それぞれパソコン作業を始め……、ところが私だけ、なぜかうまく行かない。自他ともに認める「非電脳」の私は、移動の疲れや睡眠不足で脳が働かないこともあって、ほとほと困り果てていました。すると、佳代子さんは「ちょっと、貸して」と私のパソコンを手に取り、ああでもない、こうでもないと真剣な眼差し。私の無知ぶりに「もう、全く」と呆れながらも、それはそれはスムースに事を解決してくれたのです。疲れているだろうに、眠いだろうに、それは私と同じはずなのに。実はここだけの話、ツアー中、書けない程のハプニングが次から次へ。でも、でも……、佳代子さんは何が起こっても焦らず騒がず、すべてを笑い飛ばしながら、頼もしく対応してくれました。面倒見がいい人、肝が据わった人、つまりは、生きる力に満ちた人。それは、ずっと感じていた「色気」の定義そのものでした。私は、この「佳代子さん伝説」を事あるごとに周りに話しますが、必ずといっていい程返ってくる答えは、「キレイな人だよね」。その度、あの「顔」やあの「肌」を思い浮かべ、そうだ、そうだった、キレイな人だったと気づかされるのです。

そういえば、先日、佳代子さんに憧れているという女性に、佳代子さんがどんな化粧品を使い、どんな美容医療を頼っているのか知りたいと問われ、自分に言い聞かせるようにこう答えました。「そんな表面的なことでこの人の真似なんてできないと思うの。キレイであることに目が向かない程、奥深い魅力を養わなくちゃ」と。

自分らしい美しさがぶれない人。だから年齢を重ねる程、輝いていく。

美容家

神崎 恵

「天野佳代子についてのご執筆をお願いしたい」。このお話をいただいてから思いを書き起こすまで、私には珍しく時間がかかってしまいました。仕事では大先輩であり、プライベートではお互いこっそりと胸の内を見せ合うこともある。頭の中にずらりと並ぶ佳代子さんの魅力や思いをどう書き出していこうか、と。ただ、公開ラブレターにはしたくなかった。好きなところをずらりと並べて、「素敵な人でしょ」とまとめるだけでは足りない、伝わらないと思ったからです。

「奇跡の!」「◯◯すぎる!」を自分のこととしない。自分の美しさの定義への足がしっかりと地についている人。それが佳代子さんのいちばんの魅力だと感じています。美容業界という、ある意味特殊な世界の中にいると、美しさというものが自分とは違う次元で息をし始めることがあります。自分が大切にしていた美しさや踏み込まないと決めていた領域に踏み入ってしまう。美しさに主導権を握られてしまうことが珍しくありません。だからこそ、美しくなれるものや方法を知り尽くせるこの仕事は、それらを柔軟に取り入れながらも、自分の美しさへの定義は忘れず守り続けるバランスが大切になるんです。もちろん、できる限りの美しさを追い求めることができるのも美容の力。年齢に抗い若さを育てるのも、自然に老いていくのも、正解不正解ではなく、それぞれが生き方です。自分の好きなように、心曇らせない方法を選ぶことが重要です。

佳代子さんは「奇跡の」「◯◯すぎる」と呼ばれる度に、「これ嫌なのよね」と言える人。「このシワはあった方がいいのよ」と息をする美しさや年齢を重ねる自分を認めることができる人。仕事への情熱と自分への愛、この難しいバランスをナチュラルに持ち続けている人です。年齢や美しさを何かと引き合いに出され、時に「若くなければ」「美しくいなければ」とプレッシャーをかけられることもある。そんな中でもキリキリしない美しさ、老いることと美しくあることが共存できることを見せてくれる存在です。私たちが見たいのは、奇跡という非現実なことじゃなく、5年、10年…と行く先をポジティブに、生き生きと歩いてくれる存在。それが佳代子さんだと思うのです。

「メイクを楽しむためにケアをする」。美容の原点を思い出させてくれる人

美容家

石井 美保

初めてお会いしたとき、その美肌や、醸し出す雰囲気の若々しさ以上に印象的だったのが、天野さんのキラキラとした瞳でした。円熟した大人でこんなにもピュアな表情の方がいるのだと驚きました。その後、天野さんがライカのカメラに興味をもたれ、一緒にカメラレッスンを受けた際、実は、パン作りや手芸もお好きだとお聞きして。興味をもたれたことには躊躇することなく挑戦し、楽しまれる方だということを知り、キラキラとした眼差しの秘密がわかった気がしました。私自身、年齢と共に腰が重くなり、何事も新たな挑戦より、積み重ねた経験の中で行う方が安心だと思いがちですが、好奇心に正直に、臆せずチャレンジして、そんなご自分を楽しまれている天野さんはとても素敵で、憧れます。

天野さんを思い浮かべるとき、そのお顔は目元も口元も、いつもにっこりされています。お顔には笑顔のシワがあるだけで、ネガティブな考えや感情に捕らわれたときにできる嫌なシワがないんです。ご自身も常に謙虚で、丁寧で、柔軟で。そんなお人柄からの視点が、読者に寄り添う記事を作り続けていらっしゃるゆえんなのでしょう。

「大好きなアイメイクを楽しみたいから、アイケアを続けてきたの」。40歳で、目元にエイジングサインが出てやっとアイケアを始めた私は、この天野さんの言葉に目が覚める思いでした。美容における提案は、「こうならないためにケアをする」という注意喚起からのアプローチになりがちですが、年齢に関係なく、年齢を言い訳にせず、いくつになっても「メイクが楽しい」「楽しむためにお手入れをする」という思いは、仕事や生き方にもつながるものだとハッとさせられました。天野さんと出会ってから、私は年齢を重ねることに対して、よりポジティブになっています。失礼ながら、20歳という年齢差があるのに全く感じませんし、その存在はこれからの20年、努力を怠らなければ素敵になれるという希望でしかないです。素敵で知的な大人のロールモデルである天野さんの、奇跡の美しさのその先を楽しみにしています。(談)

まず肌に艶を。
そこから美の連鎖が始まって、何歳からでもキレイになれます。

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キレイになりたいという願いは、何歳であっても、どんな立場の人でも抱いているもの。
でも、美容の悩みがいくつもあると、どこから手をつけていいのかわからず、漠然とした思いを抱えたまま加齢は進み、悩みは増え続け、諦めの方が先に立ってしまいます。

それはとてももったいないこと。
誰だって、何歳からでもキレイになれるからです。
自分のことを思い返すと、いつの年代でも実年齢には見えないと言われてきました。
何か特別なことをやってきたわけではありません。
日々、コツコツとスキンケアを繰り返してきただけのこと。

ただ、悩みが増える度に、克服させる方法を私なりに見いだしてきました。
『美的GRAND』2022秋号で50ページにもわたって組まれた『天野佳代子特集』では、僭越ながらその方法を紹介しています。

難しいことはひとつもなく、誰でもできる美容のちょっとしたコツの数々。
その中から、合いそうなものを取り入れ、ご自身に期待を寄せながらケアを重ねていってください。

例えばスキンケアで肌に艶が出たら、その艶を誇示させるファンデーションが欲しくなります。
ファンデーションに満足すると、次は目元を印象的に見せるアイシャドウが欲しくなります。
こうして、美容の連鎖が美しい人を育てます。

さあ、何から始めましょうか。
スキンケアでもメイクでもヘアでも。
まずは気になる扉から開けてみてください。

ー美容評論家・ジャーナリスト 天野佳代子

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『美的GRAND』2022秋号掲載
撮影/熊澤 透 ヘア/hiro TSUKUI(Perle) メイク/KIKKU スタイリスト/押田比呂美 構成/松田亜子

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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