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2023.4.28

作家LiLyの対談連載「生きるセンス」スペシャルエッセイvol.2

その時々で訪れる人生の岐路。女性として、妻として、母として、社会の中のひとりとして、どうにもこうにも答えがでない時、先輩たちからの生きるヒントが役立ちます。今回は今まで4人の先輩たちとの対談を基に、作家・LiLyが感じたことを総括する書下ろし特別エッセイです【作家LiLy対談連載「生きるセンス」 】

第二話 「ピピーッ! 更新タイミングのお知らせです」

過去の失敗経験と成功体験をベースに、こんな感じで生きていけばいいのね?なんて「生きるコツ」を掴めた気になっていると、すぐに人生というものは「次の章」へとステージを変えてくる。
この感じは、まるで、追いかけっこ。
コレか!? コレだ!という「自分の生き方」に、あともう少しで手が触れる、というところで「人生」の方が指の先からすり抜ける。

ここままいくと、
ココから先は「怪我」しそう。

40歳を目前に控えて、ハッとそう思ったのだ。これは直感と言えば直感。だけど、冷静に考えてみてもやっぱりそう思う。
「できなかったこと/なかったもの」を次々と取得していくのが0歳から10代、20代、30代の道のりだとしたら、40代以降は「できたこと/あったもの」を少しずつ、だけど次々と失っていくフェーズに入っていく。こうして文字にすると(マジで)ゲンナリもするが、これは事実。
全てのベースとなる「体力」だってその一つだし、女性はココ(40代)から「閉経」へと向かっていくので「更年期」と呼ばれる身体やホルモンバランスの変化だって大いにあるだろう。そして、もっとピンポイントに、正直に言うならば、私は「若々しい見た目」がどんどん損なわれてゆくことに対する恐怖にも似た気持ちがあった。否、今でもある。そしてコレ、何故か、わりと、大きな声で言いづらいことなのだ。
だって、こればっかりは今に始まったことではないけれど、「世論」というものは常に無茶ブリの嵐……。世間的に「魅力的なオトナ」だと言われる人物像を書き出してみるので一緒に考えてみていただきたい。

中年以降の魅力的な人物像:
年齢はただの数字と捉えて「向上心」はキープする。が、
年齢を重ねていく外見のほうは自然現象として受け入れて、
心身ともに健やかに、
だけど“実年齢よりはナチュラルな範囲で若々しい”ヒト。

つまり、「心は老けるな」「健康は死守しろ」「外見は老けろ」「ただし実年齢よりは若見えしたナチュラルな感じに仕上げろ」!! ――――これを世間が理想的な「ナチュラルビューティー」と呼ぶのなら「無茶」だって!! それ一番難しいって!!と叫びたくなるのは私だけだろうか(笑)。

(心は若く、だけど外見の老化は受け入れろ、の部分が特に難しい。精神年齢と外見のバランスの乱れは、情緒すら乱すものなのだ。心が若ければ若いほどエイジングに対する抵抗心“はそれこそ自然と”芽生えてしまうもの。これについてはバッドフェミニストの女王:マドンナ VS女王なんだからもっとナチュラルに老いてくれ!!という世論の戦いが良い例なので、また後で詳しく!)。

「世間の声」の無茶ブリについてもっと言ってしまえば、世論の中には、「世間の意見なんかに振り回されずに自己を確立している人こそ美しい」というような王道ステイトメントが存在する。これ、「その自己流の範囲が一般レベルの理解をこえた途端に、魅力から最も遠い変人扱いがデフォルトです」という “暗黙の了解”がキッチリと含まれているところがまたホントにおっかない。
そもそも、ファッションも美容も、世の中をより生きやすくするための“武装”と捉えているところがある私にとっては、己のファッション道や美容道を追求しすぎた結果として余計に生きづらくなってしまうなんて事態は、本末転倒。

つまり、「世論」をフルシカトしながら
生きやすさの追求なんかできっこないってこと。
私たちは「この世の中」を生きているわけだから。

ただ、子供の頃から私はこの「世論」と気が合う確率がとても低い。世間が投げてくる球にいちいち「えッ?」とか「はッ?」ってなってばっかりなので、なかなかバットを振れない。いいから黙って打て!!と叱られても、黙ってはいられないし、納得できない球なんか打ちたくもない。

あまりにも打率が悪すぎて、バッターアウト!
って、チームから弾き出されてしまうヒト=私。

そう、まさにコレが私にとっての「生きづらさ」であり、そもそも最初から生きやすい性格に生まれていたら、この世の中での「生きやすさ」を自分なりに追求しようとも思わなかったに違いない。

だから、
私にとっての「世論」調査とはつまり
「敵を知らずには戦えない」ってこと。

世論には常に興味があるし、他人にどう思われるかを毎日フルシカトしながら生きるって「無謀な挑戦」だと思う。(結果的に損ばかりする羽目になるかと)。無駄に損をすることが大嫌いな私はだから、時代と共に移り変わり続ける「世論」とやらに常にアンテナは立てつつも、無視するところはあえて無視して「自分の進みたい方向」とのバランスを取るというやり方をしてきた。

例えばタトゥー。左手首、右手の横、首裏、左腰。
これは今のところ私を生きやすくしてくれている。

<続く>
第三話「世論と自分との折り合い地点」

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作家
LiLy

’81年生まれ。神奈川県出身。N.Y.、フロリダでの海外生活を経て上智大学卒。25歳でデビューして以来、女性心理と時代を鋭く描き出す作風に定評がある。著作多数。instagram @lilylilylilycom noteはこちら

文/LiLy イラスト/ito・megumi

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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