【向坂くじらさん新連載】透きとおっていないものは美しくない?|そうでないものの美 Vol. 01
詩人・小説家の向坂くじらさんによる連載が『美的』6月号よりスタート! 第1回目のテーマは「透きとおっていないものの美」です。
Vol. 01/透きとおっていないものの美
ひみつ
桃はみんな
ひと粒の種を抱いている
果肉のみずみずしい暗黒に
ぽかんと浸っているあいだ
種には種しかいない
夕がたの部屋が町に抱かれて
口には出さないかなしみが
のどの奥に甘くこみ上げてくると
わたしはいっそう匂いたって
わたしには わたししかいない
だから うれしくて
桃の頬っぺた
なおさらやさしく洗っている

「すきとほったものがほしい/すきとほったものが 好き」と書いたのは、詩人の吉原幸子だ。詩には、ゼリーやビー玉といったささやかで「すきとほった」ものたちが挙げられる。
わたしもまた、喫茶店でお冷やのグラスを手にとったまま、ぼうっと見入ってしまうことがある。注がれた水も、浮かぶ氷もみんな透きとおって、屈折した向こうの景色が覗ける。透きとおったものの美しさとはひょっとすると、奥にあるものをみんな見せてしまう、暴露の美しさと言えるようなものかもしれない。
そう言うとつい、「透きとおっていないものは美しくない」と考えそうになるものだ。実は論理的には正しくないのだが、それにしては「そうであるものは美しい」ゆえに「そうでないものは美しくない」という言葉づかいの、世の中になんと多いこと。
いっぽうの現実には、透きとおっていないものたちが、あちらこちらに美しい。お味噌汁のもわもわしたうずまき。折り重なったカーテン。裏道の脇を流れる濁った小川。そんなものがむしろ、ときにわたしの目を惹きつける。透きとおる美を暴露の美とするのなら、それはいわば秘匿の美。透きとおっていないものは、かならず奥になにか隠しているのだ。だから見たくなる。知りたくなる。
そのように黙した「そうでないものの美」を、もっと探してみたい。そうだ。世界にはまだ、美しいものが隠されている。
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さきさか・くじら/慶應義塾大学文学部卒。国語教室「ことぱ舎」主宰。詩集『とても小さな理解のための』(百万年書房)『アイムホーム』(百万年書房)など多数刊行。小説『いなくなくならなくならないで』『踊れ、愛より痛いほうへ』(河出書房新社)が芥川賞候補に選ばれている。