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2022.7.15

ディカプリオの“若いモデル至上主義“に、女が学ぶこと【齋藤薫「大人美のマナーとルール」vol.11】

一体いつまで続くのだろう。ディカプリオの”スーパーモデル限定“女性遍歴。しかも彼女たちは、絶対に25歳を超えない。つまり“20代前半限定”という、どうにも容認できない彼のこだわりを、ここで徹底アナライズ。【齋藤薫「大人美のマナーとルール」vol.11】

ディカプリオが、20代前半のモデルしか恋人にしない訳

1-5ディカプリオは、絶頂期のスーパーモデル、ジゼル・ブンチェンと5年にわたって交際したが、ジゼル25歳の時に別れている。

大人女性にとっては気持ちの良い話ではないけれど、ちょっと聞いてほしい。
以前からさんざん囁かれてきた、レオナルド・ディカプリオの偏った女性遍歴。無類のモデル好きであるばかりか、お相手がいかに偉大なスーパーモデルであろうと、彼女たちが20代後半になると飽きるのか愛せなくなるのか、皆25歳までにお別れしていて、また若い恋人を探すというどうにも容認できない法則がある。

だから新しい恋人ができるたびに今度こそ結婚してちょうだいと、全く関係のない自分が願ってしまったりするのは、「そこに愛があるのかどうか?」甚だ疑問だからである。
そうであってほしくないからこそ、私たちは一縷の望みをもって、新恋人との交際を固唾を飲んで見守る訳だが、それでも決まって恋人が25歳を超えないのには、やはり尋常ではない若さへの執着が見えてくる。

実際、ディカプリオはほとんどブランクの期間なしに、別れと出会いを繰り返しているが、出会いの多くがカンヌ映画祭であったりするのも、なんだか計算ずく。こうなるともはや、ハンターである。

それでも、別れるときにモメたり、暴露記事を書かれたり、そういうトラブルは1つもなく、すべてきれいに別れているのは見事と言えば見事。ひょっとすると、スーパーモデルたち自身に“レオ様に興味を持たれないなんてモデルとして一人前ではない”的な捉え方があって、だから数年のお付き合いは、モデルたちにとって勲章のようなものだったりするのかもしれない。

いや百歩譲って、これは彼女たちのため?と考えられないこともない。つまり“モデルとしても旬のうちに開放してあげたほうが本人たちのため?”。あるいはまた、“自分の手で、彼女たちを女性として成長させたいため?”。何らかそういう自分なりのテーマでもなければ、そこまで露骨に25歳以下にこだわることなどできないはずなのだ。

つまり、せめてそうであって欲しいと言うのが私たちの願い。世の中には、30才を過ぎた女性には興味を示さない、本能ごとセクハラみたいな男性もいる訳で、単にその許容範囲が狭まって、25歳までにしか全く心が動かないと言うのでは、やっぱり悲しすぎる。

確かに25歳は、生物学的に女性が1番求められる年齢

一昔前ならまだしも理解されたのかもしれないが、世の中、「年齢を重ねるほどに人は新たな美しさを重ねていく」という価値観が主流の今、この呆れるほど時代錯誤な美意識をどう理解したらいいのか。

人間、確かにフレッシュなものが好きである。私たち大人が“全員20代で、みんなお肌つるつるのBTS”に熱狂するのだって同じこと。

とても単純に、人の若さのピークは18歳から22、3歳まで。昭和の時代「25歳はお肌の曲がり角」という化粧品広告コピーがあったけれど、25歳になると新陳代謝が低下、まさに内側からの初期化が起こってくる。

また一方、マッチングアプリ上の統計で、女性が交際を求められる年齢のピークはズバリ25歳(24歳から26歳)であると言われるが、これは、年齢観から来る、たまたまの結果ではなく、女性としての成長と成熟のバランスが最も整うのが25歳だからといってもいい。つまり生涯の中で、女性が女性として1番求められるのは、生物学的には25歳ということ。

つまり、ディカプリオはそうしたイキのいいフェロモンに対する雄の本能に忠実であると考えてもいい。理性よりも本能が勝ってしまう人、そう理解するしかないのである。

ただそういう生き方が、本当に知らない間に社会的な制裁を受けていると言えなくもない。もちろん憶測の域を出ないけれども、ディカプリオがどんな傑作映画で素晴らしい演技を見せようと、どうしてもアカデミー賞の主演男優賞が取れなかったのは、そのことに対する映画界のお仕置きだったのではないかという気がしてならないのだ。

彼は地球保護運動や多額の寄付など、社会的な慈善活動はきめ細かくもドラスティックにやってきている。そういう意味で決して軽薄な印象はないのに、その恋愛遍歴、交際遍歴を見ると、途端に別人格に見えてしまう。相当に損をしているのは明らか。

特にアカデミー賞は、今のようなジェンダーフリーが叫ばれる前から同性愛者を描いた作品などを積極的に評価してきた経緯もあり、白人偏重が指摘されながらも、多様性に対する意識は高く、大人の女性をないがしろにするのはアカデミーの価値観にそぐわないから、若いモデル好きの大スターをあえて冷遇してきたのではないか。

オスカーに嫌われた男の、オスカー受賞にも見えた皮肉

しかしオスカーに嫌われた男、ディカプリオも、初ノミネートから22年、2016年についに主演男優賞を取ることになるのだが、皮肉なことにその作品「レヴェナント〜蘇りし者」では、彼の他の作品と真逆で、ほとんどセリフがないような役柄だった。なぜこの映画で取れて、これまで取れなかったのか逆に不思議に思えたほど。

結局その受賞さえも、ディカプリオがオスカーから排除されてきたことを何となく物語ってしまったのだ。若く美しい女性だけを次々に遍歴する男はどうしても尊敬できないという価値観が、アカデミー賞のような文化芸術を讃える協会には色濃く息づいているということなのだろう。

キャリアを重ねた女性の魅力をちゃんと理解しないメンタリティーを、アカデミーは絶対に評価しない。若さだけに価値を求める人に思慮深さは宿らないから。歳を重ねた美しさを認めること、それが人としての良識であり知性であるから。

ディカプリオ本人がどう思っているかは知らない。でももしこの人に、こういう本能丸出しの女性趣味がなかったら、どこまで評価が高まっていただろう。おそらくハリウッドで誰もかなわない大きな存在になっていたに違いないのだ。

人間はピュアでフレッシュで清らかなものが好きである。でも逆に、若さだけを良しとする美意識は、それ自体が清らかではない、汚れている、そう見られているということ。

どちらにしても、キャリアを積んだ女性の美しさは上辺だけでなくとても価値あるものとして認識されている。女性の歴史の中で、これほど大人の女性の魅力が語られる時代はなかった。ディカプリオへの見えない批判は、その裏返しなのだ。
大丈夫、大人の美しさはこれからますます価値を持ってくる。大人がこれからますますその魅力を讃えられるのだろう。だから、堂々と歳を取ろう!

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美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。『大人の女よ! 清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『美人だけが知っている100の秘密』(角川春樹事務所)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)など著書多数。

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