齋藤薫の馨る女 EX
2019.9.22

“日本人なのを思い出す”だけの美容!【齋藤 薫さん連載 vol.90】

私たちの日常には、奥ゆかしく、謙虚な言い回しがあふれていますが、それは英語で直訳する言葉が存在しない、日本ならではの文化です。今回は、日本人であることを改めて誇りに思えるような、日本語の美しさについて薫さんに教えてもらいます。

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私たち日本人に特別に備わった価値観こそ、きれいになるためのDNAだった?

「もったいない」「モッタイナイ」、この日本語の素晴らしさが、世界中で大きな話題になったこと、覚えているだろうか。環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性が国連で取り上げ、環境標準語として世界に広げようと提案したこと。同じ意味を持つ英語が存在しないからと。

あらゆる言葉には言霊が備わっているから、「もったいない」と言う価値観はやはり日本のものだと言っていい。自然や物に対するリスペクトや愛情、慈しむ心が込められ、モノを大切にする日本人の心を表していると。だから、この言葉に世界的な注目が集まった時、日本人としてとても嬉しかった。私たちの精神性そのものを褒められた気がして。

そしてもう一つ、今まさに世界を熱狂させているのが、日本が誇る“コンマリさんの片付け術”。なんとアメリカにおけるTV界のオスカー、エミー賞にもノミネートされるという快挙を成し遂げているのだ。本人も驚いているだろうが、私たち日本人も大いに驚いた。海外でこんなにも、片付け術が受けるとは! 部屋が散らかっていることに対する罪悪感は、言ってみれば日本人だけのもののような思い込みをしていたから。美しく整頓された部屋に住みたいのは人間として当たり前のことなのに。

とは言え、断捨離も一大ブームとなったように、日本人のように整理整頓を心の問題と捉え、人生と結びつけてきた国はさすがになかったのではないか。本来自分たちの細胞の中に入っている価値観だからこそ、片付けられないことを必要以上に苦しく思う。そういう日本人の精神性そのものが、1つの驚きとともに世界中に広がり、一大旋風を巻き起こしたと言っていい。それこそ「もったいない」と同じように、日本人の価値観それ自体が評価されたと考えて良いのではないか。

じつのところ日本では、美容にもオシャレにも気をつかう若い女性ほどゴミ屋敷に住んでしまう可能性をはらんでいると言われる。それも、きれいな部屋に暮らしたい、暮らさなければいけないと思えば思うほど、また散らかったらどうしようという強迫観念にさいなまれ、逆に部屋が散らかってしまうという心理的な歪みがもたらす問題でもあると言う。

でも言い換えれば、部屋をきちんと整理整頓することが、日本人の場合は心身の安定した健康状態や美しさに直接つながるDNAを持っていると考えても良い。「整理整頓」と言う言葉も、日常的な片付けと言う意味で考えれば、一言で表現できる英語はなく、やはり「きちんとすること」「きちんと丁寧に生きること」は、日本人のDNAなのをもう一度心に念じたいのだ。

ただ、日本でもようやくコンビニ袋が有料になるが、世界から見れば、え、今頃? と思われるほど実は遅きに失した感がある。本来が自然を汚すことそのものが、最も「もったいない」わけだし、「きちんと生きること」は、本来が美しい地球にきちんと生きることが大事なのに、私たち、その辺の心がひょっとしたら麻痺してるのではないか。

日本は全てが便利すぎる。海外に行くと、日本ほど便利な国は無いと思い知り、早く日本に帰りたいと思ったりする。つまりあまりの便利さが逆に災いして、不快なものを拒むことを最優先させてしまっていないか。コンビニ袋がないと不安でたまらない、きちんとするために“コンビニ袋が不可欠”になっているとしたらいけないこと。

日本的な価値観は本当は素晴らしいものばかりである。改めて日本人である誇りと、日本の道徳観をもう一度思い出し、意識して心に留めたいのだ。「もったいない」は、地球レベルで、大事なものを大切にする心。「きちんとする」「きちんと生きる」は、自分の身の回りだけをきれいに整頓することではない。自分を取り巻く環境の全てを美しくする心。正しいことにきちんと取り組む心。それが結果として自分の心身を整え、見た目の美しさにもつながって行くと言う事実を、ここでもう一度、思い出したいのである。

日本語にしかない挨拶を、とりわけ丁寧に心を込めて言えば、人生がそっくり好転する?

じつは「もったいない」と同じように日本語では当たり前でも、英語にはない言葉は驚くほどたくさんあった。

まず、日本人がいきなり戸惑うのは、「よろしくお願いします」という意味の英語がないこと。無理矢理訳そうとすると、Thank you in advance、つまり「前もってお礼を申し上げます」みたいになり、なんだか慇懃無礼。しかも、「お世話になっています」にも英語がない。こうしたオフィシャルな感謝の気持ちをきめ細かく伝える言葉が英語にはないのだ。全部サンキューで済ませてしまうから。簡単でうらやましいと思う反面、やっぱりちょっとぞんざいな印象。

実は「いただきます」や「ごちそうさま」に当たる英語もない。もちろん食事の前にお祈りするなどの行為は見られるけれど、料理を作ってくれた人への感謝を、食事の前も後も丁寧に言葉にする国はそう多くないのだ。

そうそう、「いってきます」も「いってらっしゃい」もない。「気をつけてね」くらいの言葉はかけるのだろうけれども、出かけていく近しい人への決まった挨拶はないのだ。「ただいま」、「お帰りなさい」を意味する英語には、アイアム ホーム、ウェルカム バックと言うに決まり文句があるのは、おそらく防犯上の理由なのだろう。けれども、職場で交わされる「お疲れさま」、「お先に失礼します」には、やっぱりこれといった決まり文句がなく、無理矢理表現しようとすると不自然な直訳になってしまう。相手のねぎらいを含めた挨拶も、やっぱり日本語ならではのものなのだ。

もったいないと言う価値観が、日本のものであるのと同様に、きめ細かい感謝もやはり日本人ならではのもの……それを知るにつけ、こうした日本語をこそ改めて大切にしたいと言う気持ちになる。いただきます、ごちそうさま、よろしくお願いします、いつもお世話になっています……毎日のように口にしている言葉のひとつひとつを、もっと心を込めて言わなければと思えてきたのだ。その気持ちをもって毎日の何気ない言葉も大切に口に出して言うこと。それもとても大事なこと。

例えば朝、クリアな声でおはようと言えるみたいなことさえ、いかに大切かを時々思い出すべきなのだ。なぜなら、当たり前の挨拶こそを、意識して丁寧に言うようにすると、それだけでその1日が本当に驚くほどうまく行く。朝、家族にきちんと、行ってきますを言い、職場でおはようございますを明るく言う、それだけでその日は見事にいい日になるし、絶対いい人でいられるからなのだ。お先に失礼しますをもっと心を込めて言うだけで、あなたが帰った後にあなたの好感度が何%も上がっている。そういう日々の積み重ねが、その人の人格を作るからなのだ。でもおはようから不機嫌だと、またはおはようを言わないと、その日一日不機嫌な女を続けなければいけない。1日の心の向きを作るのは、最初の挨拶に他ならないから。また、その言葉を音として聞いた人があなたの評価を決めるのだ。そして、美しく丁寧に挨拶を言えた人が愛される、これはもう地球の摂理。日本語はとりわけ人格と深い深い関係を持っているのだ。ありがとうやごめんなさいはもちろんのこと、もっと何気ないおはようの言い方で、人生が良くも悪くもなってしまう位、1つの挨拶に人の人生がかかっている。また逆に、毎日の当たり前の挨拶等に人生をかけられるのが日本語なのだ。

もともと私たち日本人は丁寧に日々を生きることを重要に考えてきた。日めくりの言葉に日々心を動かされるように、1日1日を大切に、心を込めて生きてきた。でも最近は、当たり前の挨拶とともに丁寧な生き方を忘れがち。だから今のうちに、毎日毎日のその積み重ねが、充実した素晴らしい人生を形作る絶対の鍵であるのを改めて意識し直したいのだ。「いつか、そのうち」ではなく今日から変えたい。今ならまだ全然間に合う。人生を好転させるため。大げさに考えないで。ただ日々の挨拶をきれいに言うように心がける。それだけで良いのだから。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレッ クス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』10月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

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