齋藤薫の馨る女 EX
2018.2.23

幸せになるための計算は是か非か!?【齋藤 薫さん連載 vol.71】

“計算高い女”が世間から疎まれる理由、それは、幸せ願望が強すぎて策略が垣間見えてしまうから。そもそも女性なら誰もが幸せになりたいもの。でも、ただ待っているだけでは、幸せはやってきません。“計算高い女”に見えるのは避けたいけれど、ある程度、したたかさも必要。今月は、その微妙なさじ加減を薫さんに教えてもらいます。

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“幸せになるための計算高さ”を考える。
ズルさではなく、したたかさなら、否定されるべきじゃないはずだけど

世間は、計算高い女に対してとりわけ厳しい。意地悪な女よりも、身勝手な女よりも、ヒステリックな女よりも……。それは1つに、確信犯だから。そして、実際に1人だけいい思いをする可能性があるからだろう。考えてみれば、いわゆる“炎上”を招きがちなのも、自慢する女か計算高い女かのどちらかだったりする。これは女社会の特殊事情。“計算高い男”という表現をあまりしないのもその現れで、策略家、策士、知恵者……と、言い方はいろいろあるけれど、男の場合はたとえそれが“悪知恵”であっても賢いイメージがあるのに、計算高い女は賢さよりもやはり“ズルさ”がクローズアップされがちだ。男の目的は成功やお金、女の狙いは幸せ……とすれば、女の狙いの方がむしろ健全な気がするが、幸せになることは、すべての女にとって“永遠のテーマ”だけに、1人抜け駆けするように策を講じるのは、ズルイじゃないかというわけ。みんな幸せになりたいのは同じなんだから、と。ただ、百歩譲ってそうやって批判されても、ちゃんと幸せになれればそれでいい。

でも幸せに直結しない計算高さというのがあって、計算だけが浮いて見えてしまう残念な人っているものなのだ。
例えば、テンネンのふりをする女。今どき流行らないけれど、単純に女性には嫌われても、男性には一見ちやほやされるという旨みはある。
次に、自己顕示欲が必要以上に高い女。人間そこそこの自己顕示欲は持っていてもいいけれど、一定量を超えるとたちまち濃厚に計算高い女に見える。何とか注目を浴びようとするその真意に、損得勘定が丸見えになるからだ。
さらには人によって態度が違う女。いわゆる、男と女では態度が違う女はもちろん、関わって得をしそうな人にだけ意識を集中させ、それ以外には全く関心を示さない女……。それは計算高さ以外の何物でもないわけだ。
こういう計算は、はっきり言って何の得もしない。一体何のための計算なのか? 計算高さに良いも悪いもないけれど、女が幸せになるための計算なれば、むしろすべきなのかもしれない。ズルイのではなく、“したたか”な生き方の証だから。「強か」と書く“したたか”なら、粘り強く力強く生きていくということに他ならないのだから。

既に亡くなって35年、それでもなお強い存在感を残す女優の夏目雅子さんは、長い不倫を経て作家の伊集院静氏と結婚するが、伊集院氏の離婚後も、伊集院氏と恋愛関係にあるといわれるライバルが芸能界にいて、そのバトルもまた話題になった。結果として、夏目雅子さんが勝利した形となったその勝因ともされるのが、今も語り継がれる“女からのプロポーズ”。

「私と結婚したら、私みたいな女が家にいたら、きっと楽しいと思うよ」。

実際のところはわからない。でもこれも見る人が見れば1つの計算。ただ、前向きな攻めだからこそ、実を結んだともいえるわけで、幸せになるための企ては決して否定されるべきものではないはずなのだ。“天下の福山雅治”を射止めた吹石一恵さんにも、案の定やっかみ半分、ある種の計算が噂されもしたけれど、好きな人に手作りのお弁当を届けたりするのが計算ならば、女は気がきいたことを何もできなくなる。幸せになるための計算はそもそも花嫁修業のようなもの。大人の女性としての気配りと紙一重であることは確かなのだ。ともかく計算高い女を徹底的に糾弾する時代、でも幸せへの計算だけは除外したい。逆に言えば、全員が幸せになるには、女同士助け合わなければ。讃え合わなければ。“生きるためのしたたかさ”は、女をむしろ輝かせるに違いないから。

じゃあ、あの英国王室に嫁ぐメーガン・マークル嬢には、計算があったのか、なかったのか?

とは言えやっぱり幸せになった女に対し、世間は不条理な反発を見せるもの。しかも、計算高い女を1番許せないのは、意外にとても身近にいる女だったりする。
例えば、英王室のヘンリー王子と婚約したメーガン・マークルさんを、“計算高い女”と痛烈に批判したのは、幼なじみと称する女性だった。一緒にロンドンを旅したというくらいだから、確かに親友ではあったのだろうが、だとすればちょっと戦慄。“メーガン嬢は、昔から今の座を狙っていた、ダイアナ妃のようになりたがっていた“と暴露したのだから。しかし驚くことじゃない。キャサリン妃の時にも“その座を狙っていた”報道はあったのだ。他の大学に入学が決まっていたのに、ウィリアム王子と同じ大学に通うために、それをキャンセルした、的な……。ただそれが本当であってもなくても、大差ない。王子と同じ時代の英国に生まれた女の子は、みんな1度はその座に座る自分を想像したはずだから。

そして正直、誰もが夢見る立場につけるのは、計算高い位のことで叶えられるはずもない。彼女たちはまずなんといっても強運だったのだ。直に王子たちの目に留まるチャンスに恵まれたのだから。そこまでに至るのにはひょっとすると、何らかの計算をしたかもしれない。でもそれから先は、計算などは全く通用しないはず。なぜなら、こういう王子たちの周りには、それこそ小さい頃からプリンセスの座を狙う女性たちが、既にいっぱいいっぱいいたはずだから。逆を言うならば、そういう計算が見えないからこそ、最終的に王子達に選ばれたと考えるべきなのかもしれない。いや実際には、計算高く見えないという計算だったかもしれないが。まさしくロイヤルファミリーになんて興味がないと見せるような。でもそれだって、成功するとは限らない。なんだか失礼な女だな、で終わってしまうかもしれないのだ。いずれにせよ、小手先のテクニックはもともと通用しない。王子達はそんなことは百も承知で、女達と向き合ってきているからだ。キャサリン妃は本当に運命の人だったのだろうし、メーガン嬢はズバリ素直で一生懸命だったのだ。自らも人種問題に対する強い使命感を持っている女性だったから、王子の方が母親ダイアナ妃の面影をこの人に見たかもしれない。ましてや惚れっぽいヘンリー王子は女優たちとも数多く浮名を流していて、だから今や”世界一モテる独身男”と持ち上げられながらも、実際は、有名女優たちには警戒されていたともされる。そんな中で彼女だけは素直にプリンセスになりたいという思いをぶつけたのかもしれない。

それが計算高いのか? おそらく炎上系の“計算高い女”たちの多くも、人よりも少しだけ幸せに対する情熱や執着が強いだけなのかもしれな い。はっきり言って人間幸せになる努力をしなければ、やっぱり幸せはつかめない。幸せが自らトコトコ歩いてきたりはしないから。そのための努力をしないで、幸せにまっすぐ努力している人を計算高い女と決めつけても、意味がないのだ。そんなことより、自分の幸せの心配をすべき。誰かに自分の幸せを横取りされたのならば、猛然と戦うべきだけれど、他人に迷惑をかけない計算は、放っておけば良い。計算なんて、それほど簡単に成功しないのだから。それよりもメーガン嬢を計算高い女と批判した幼なじみの女性が心配。世の中、人の幸せを妬む女が一番損をする仕組みになっている。少なくとも女は、幸せになろうとする女を批判してはいけない。特に身近な女の幸せは、難しい事だけれども乗り越えたい。幸せを否定する人が、幸せになれるはずはないのだから。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

美的3月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子

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