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2018.12.23

ファッションから読み解けるもの【齋藤 薫さん連載 vol.81】

オシャレすることは好きですか? ファッションは好きだけれども、毎シーズン同じようなワードローブで過ごしたり…という状況になってはいませんか? そして美容を頑張っていると、ファッションは二の次…になることもありますよね。今回は、美容が好きだからこそファッションにもこだわったほうがいい理由を、薫さんに教えてもらいます。

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オシャレにまつわる新しい方程式(1)
実は、オシャレな人ほど仕事も有能だった!

ズバリ聞きたい。あなたは、「オシャレな人」だろうか? 自信を持ってオシャレをしていると言えるだろうか?

ノーと答えた人は、やっぱり酷くもったいない。人生レベルで損をしてる。もちろんオシャレをするかしないかは、本人の勝手、そういうことに全く関心を持たずに生きていく生き方だって当然あるわけだけれど。でもやっぱり、人にとって着ることは、自分が誰であるかを語る絶対的なメッセージ。世の中に“自分がここにいる”と伝えるメッセージ。そんな重要な手段を有効に使わないのは、やはり人生の損失だ。女の人生にはこれ、一生ついて回ることだから、今のうちに再認識しておきたいのだ。オシャレの必然性とちゃんと取り組んだ方が、人生は良いことがあり、思いがけない手ごたえがあるという現実を。

ちなみに、美容は大好きでも、服のオシャレには関心がない人もある数いて、じつはこういう人ほど、もっと損をしていること、知っておいてほしいのだ。それの何がいけないの? と言うかもしれないが、顔だけしっかりメイクしても、やっぱりその人の“人となり”が伝わっていかない上に、全身を洗練が覆っていないと、顔がいくらキレイでも、それが魅力につながらない。顔だけに力がこもっているのはかえってアンバランスに見えて、なおさら損なのだ。

女にとってオシャレはやはり、女と言うものへの参加資格のようなもの。女にとって、看板のようなもの。自分がどんな方向に向かって歩いているどんな女なのかを語りだす。つまり社会における自分のポジションまでを服によって示していると言っても良い。もっと言えば、オシャレは今や有能さを示す切り札。はっきり言ってどんな職種であっても、オシャレな女性は必ず有能と言う見方が生まれてきている。
昔は、そこが大きく違った。オシャレにうつつを抜かす女性は仕事がおろそか、的な見方があったわけだが今は逆。出来る女性は、オシャレも出来る。社会性ある女性はオシャレもうまいのだ。

そもそも今、服選びにも知性がそっくり現れると言う見方が一般的になっているも、オシャレが社会性の一部になってきているから。考えてもみてほしい。物心ついてからずっと、自分の服選びはもちろんのこと、街行く女性のコーディネートを嫌と言うほど見続けてきて、知性があれば最低限のセンスは自然に身に付いているはず。また、仕事において自分がどんな服を着るべきかと考えること、それ自体が社会性だから、デキる人ほどどんどん洗練が身に付いていく。そういう意味でも本気でオシャレをしなければ損。職場で知的に見えないから。

そうそう、メーガン妃を見て欲しい。典型的なロイヤルファッションのキャサリン妃に比べて、メーガン妃はキャリアウーマン風の服が多い。それは、彼女の精一杯の自己表現であり、デキる女、社会性ある女のアピールなのだと思う。しかも、それが大成功していて、プリンセスとしての好感度もどんどん上がっている。そしてまた、どこまできちんと神経が行き届いた服選びをしているか、それは人としての気力につながる。どんなスタイルであれ、着る服に気を使う事で、私はしっかりと生きていますと言う強いメッセージとなるのだ。

極端な話、もう死にたいような人は、服なんて買わない。コーディネートになんかに悩まない。オシャレしたいという気持ちと、生きていたくないという気持ちは、絶対にひとつの心の中には生まれないのだ。生きていく気力が減退したら、着ることへの意欲も一気に減退する。それこそ生きるエネルギーを形にしているのが、オシャレなのではないかと思うのだ。だからこそ社会でイキイキ輝いて見えるのは、やっぱり「オシャレな人」。あなたはオシャレをしているだろうか?

オシャレにまつわる新しい方程式(2)
実はオシャレな人ほど人柄も素晴らしいって本当だろうか

いわゆるアカデミー賞のベストドレッサーで名前が上がる常連と言えば、ニコール・キッドマンやケイト・ブランシェット、ペネロペ・クルスなど。最近はここに、エマ・ストーンやジェニファー・ローレンスあたりが加わった。ここに名前があがる人は何度も上がり、やらかしてしまう人はやっぱり繰り返しワーストドレッサーで名前があがってしまう。多くの人にスタイリストがついているとは言え、世界中が注目するレッドカーペットだけに、自己顕示欲がそのままドレスになるわけで、まぁ普段は見えない人となりが、そこに露骨に現れたりするものなのだ。

こうしたオスカーのベストドレッサー選出を見ていて毎年思うのは、逆にベストとして選ばれる人の心の安定なのだ。こうした場面では、時に狂気に思えるようなドレスも登場したりする。カンヌ映画祭には新人女優やモデルが売り込みのためにやってきて、勢い余って胸やヒップがほとんど露出してしまっているような、犯罪ギリギリのドレスも出現するほどだから、ドレスにはむき出しの欲望が出てしまうと言っていい。ファッションセンスに人間のタイプが表れるのは疑いようのない事実だけれど、タイプどころか、もっと深いところの人間性がそっくり現れているのである。従って、ファッションセンスとは何なのかと言ったら、逆に自分を静かに表現する能力、もっと言えば自分を抑えながら主張する力なのではないかと思う。なぜならベストドレッサーを取るドレスは、他のドレスに比べて“地味なのに派手”という矛盾が必ずあるからなのだ。

要はそうしたバランス計算ができること自体が知性なのだが、それは言い換えれば世の中を読み取る力。人の心を読み取る力。つまりこの読み取りができるから、自己主張を抑えられるし、人間性もほぼ完成していると見ていい。実際にニコール・キッドマンやケイト・ブランシェットは、女優としての実力もさることながら人間性の素晴らしさも有名。IQの高さでもハリウッドで指折りの存在である。知性、社会性、人間性……3拍子揃って初めて洗練と言う力、ファッションセンスと言う能力が生まれるのだと、改めて肝に銘じてほしいのだ。

ここで何を言いたいかと言えば、これまで全く盲点になっていたと言っていいが、オシャレな人ほど人柄も良いという事実。ともかくファッションと人間性が一緒に語られることはほとんどなかったが、「プラダを着た悪魔」のように、最先端モードに身を包んでいる人ってあまり笑わず、人として冷たいイメージがなくはない。だからむしろ逆のイメージがあったのかもしれないけれど、もう少し広い意味での、心憎い洗練を宿している人は、確かに人間性が素晴らしい。あなたの周囲にいるセンスの良い人も、きっとみんな人としても完成度が高いはずなのだ。

センスがいい人はだから素敵なのだと言う方程式も成り立つと思う。そして、センスの良い人ほど実は歳をとらないと言われるのも、心のバランス感覚が良く、世の中が見えていて、時代のニーズもえているからなのだと思う。ましてや、自分を若く見せるテクニックは最も難易度が高いからこそ、そこには絶対にセンスが必要。そして実際に失われていってしまう若さと完全に対等の魅力となり得るのが、知性と洗練、この2つに尽きるからこそ、素敵でセンスの良い人ほど歳をとらないのである。覚えていてほしい。美容だけではだめ。オシャレを極め洗練を身につけてこそ、女が輝く。そしていつまでも若く人を惹きつけるオーラを持てるのだと言うことを。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』1月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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