齋藤薫の馨る女 EX
2018.9.24

バランスの取れた“面倒くさい”女とは【齋藤 薫さん連載 vol.78】

あなたは“面倒くさい人”と聞いて、どういう人を思い浮かべますか? “忖度”が多分に求められる日本社会をしなやかに生き抜いていくには、一見“面倒くさい”と思われてしまう丁寧さが必要なことも。他人に受け入れられるか否か、そのバランスをどう取っていくべきかを、薫さんに教えてもらいます。

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“面倒くさい女”は、是か非か?むしろ面倒くさくありたい新しいバランス学

“面倒くさい女”って、言われたくない。それは女の本能みたいなもの。おそらくは、面倒くさがられると“女は幸せになれない”的な法則があるからなのだろう。確かに、恋愛においては背中合わせ、思いがあればこそ女はアッという間に面倒くさくなりがちで、惨めな振られ方につながる最大要因だけに、女は面倒くさくならないよう、最大級の注意を払うべきなのだ。ひとまずは必要以上に構わない、構われたがらない、ってことで。
 
そして、女同士の付き合いの中で面倒くさい女と思われるのも、基本的には人生レベルで避けるべき。たとえば詮索好き。滔々(とうとう)たる自慢話。価値観強要。潔癖症。1日中ダイエットしてる……親しき友人にこそ面倒くさがれる要因は、人付き合いの難しさを物語る。
でも今、面倒くさい人の評価がにわかに高まっている。他でもない、サッカー日本代表を引退する長谷部選手。彼への思いを嗚咽しながら語った吉田麻也選手が「自分のルールが非常にあって、面倒くさいところもあったけど、あれほどチームのことを考える人はいなかった」と愛情を込めて言った時、“面倒くさいけれど愛すべき人”がいることに、誰もが確信を持ったはず。逆に今、面倒くさいことを面倒くさがらない心がないと、人間アッという間に低きに流れていってしまう時代なのかもしれないと、思ったはずなのだ。

言うまでもないことだが、他人に迷惑をかける面倒くささと、逆に人を心地よくする面倒くささがあるのは事実。つまり嫌われる面倒くささか、好かれる面倒くささか、2つに1つ、間はないくらいに。たとえば手厚くお礼をする。会いたいと言う。良い所を褒める。心配する。ねぎらう。そういう相手への心配り的なことには、面倒くさいほどのしつこさが今は心地よい。人の心が良くも悪くも刺激に対して麻痺している時代。ありきたりなことをしても人の心に響かない。面倒くさいほどの思いだけが人の心に染み入るのだ。逆に、相手のことを必要以上に知りたがる、他者と自分を何だかんだと比較する……典型的な“嫌われる面倒くささ”だが、1番面倒くさいのは自分自身を誰より何より大切に扱う女。大人の女は、自分自身のことにはむしろ横着に見えるくらいでちょうどいいのに。もちろん家ではどれだけ自分を大切に扱っても構わない。それが美しくなる大前提なのだから。でも人前では逆。1歩外に出たら、私は大丈夫。私なんか最後でいいんです的な大らかさが女を最も美しく見せるって気づいて欲しいのだ。

極端な話“自分に横着”にはこんなケースもあって、恋人のスマホを以前は暇さえあれば盗み見てたのに、それがだんだん面倒になって、見なくなったら信じられないほど楽になったと。自分の欲望への横着は揺るがぬ平和をもたらす、幸せの母だったりするケースもあるのだ。
ある有名なモデルが、こう言った。自分は面倒くさい女で、他者には面倒くさがられるほどやってしまうから失敗も多かった。でもその分、自分のことには横着になったらすごく楽になったと。 ましてや今の世の中、自分のことは異様に大切にして、他者には横着という真逆のバランスを生きてる人が少なくない。だからこそ相手には面倒なくらい丁寧で、自分に横着な女が尚更立派に見える。 
かくして他者には面倒くさいぐらい気を配るのに、自分の欲望には横着。それがなんとも美しく素晴らしく、この人をとてつもなく素敵に見せた。目指すならばこのバランス、結果として1番愛すべき存在となることを、改めて思い知ったのだ。面倒くさい女たちに告げたい。このバランスをクリアできれば、これからはあなたの時代。きっと愛され、幸せを掴めると。

日本は世界一面倒くさい、素晴らしき国。だから私たちも“面倒くさい女”になりましょう

様々に物議をかもしたサッカーW杯で、今なお心に残るのは、“面倒くさい男”長谷部選手の件もさることながら、日本代表チームがロッカールームをきれいにして帰ったこと。thank youカードとともに折り鶴何羽かを残して。
どちらにしても日本は、何とも面倒くさい国である。日本人は何とも面倒くさい人々である。一瞬、折り鶴まで必要だったのか? そういう思いがよぎらなくはなかったが、そんなことをする国など他にはないはずで、それを称して出場さえ叶わなかったイタリアのメディアが「30分でもいいから日本人になりたい」と書いたほど。世界にとって日本人は皆そう写っている。皆が折り鶴を残す面倒くささを持った国民であると。でもそれが、自分たちにとっては最も大きな誇りとして心に刻みつけられた。面倒くさくてよかったと。

そもそもが、モノを買った時、日本ほど過剰包装な国はない。自宅用でも、まるでギフトのよう。そうかと思うと「もったいない」という意味の英語はなく、日本古来の概念。モノや時間を大切にする国民である証だが、過剰包装はもったいなくない、お店の人が買った荷物を店の外まで持ってきてくれるのは時間の無駄ではない、そういう心の厚みを持つ国なのだ。こんなふうに過剰とか、やり過ぎとか、もったいないくらいのことをするのが、まさに日本の心なのだ。

さらには、日本語も実に面倒くさい言語。敬語1つとっても尊敬語に謙譲語、丁寧語に自分美化語、4つもの言い方があるのは、正直笑ってしまうほど難しい。でも敬語があるからこそ、人を敬う心や一歩引く心はもちろん、ついでに自分自身の面倒くささまで表現できてしまう。
そういう意味で、日本語の敬語は全く鬱陶しいけれど、それでも日本の丁寧文化としてやっぱり誇れるもの。存在する敬語をイザとなれば全部使えるような女になっておくのは、日本の美容。そう最低限、“少しでも長く言葉を重ねることができる女”にはなりたい。どういうことかと言えば、「有難う」より、「有難うございます」より、「誠に恐れ入ります」。さらには「皆様にもよろしくお伝えくださいませ」なんて言葉を重ねて重ねて相手に言葉をいっぱい渡せる丁寧さ、そうした面倒くさい日本人になるのは、日本の美容だと思うのである。

そして一方、日本には“他者の家を訪問すること”ひとつとっても、何十もの呆れるほどのマナーがあり、面倒くさ過ぎ! ただ、階級を示すことを重視し、自分を貴きものに見せる西欧のマナーとは違って、日本のマナーはほとんどが“遠慮と控えめ”を形にし、自分を小さきものに見せるためのルール。例えば畳の縁や敷居を踏まないとか、座布団の上には勧められるまで座らないとかも、相手を敬い、自分を低く見せるためのもの。それって素晴らしいことではないのか。

最近ようやくわかったのは、“控えめな面倒くささ”こそが日本の素晴らしさだってこと。かつて前田敦子がセンターに選ばれた理由も、「この子だけセンターになりたがらなかったから」らしいが、それこそ控えめな面倒くささの象徴。この国に生まれた証として、私たちもちょっとだけ面倒くさい女になりたい。

長谷部選手の『心を整える。』と言う著書にも、面倒くさい提案がいっぱいあったが、それが即ち“心を穏やかに整えること”なのかもしれないから。生きることにぞんざいになれば心が荒れる。その仕組みを体の中で反芻してみて欲しい。丁寧に丁寧に生きるほどに心が静かに整うのは、間違いないのだから。面倒くさい女になるのは、やっぱり最終的に自分の心の浄化のため、なのである。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、「The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』10月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

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