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2019.5.19

美容整形のこと、本音で話そう【齋藤 薫さん連載 vol.86】

自分の容姿に心から納得のいっている人は、どれくらいいるものなのでしょうか? メイクや髪型で、印象はかなり操作できるけれども、インターネットなどで簡単にクリニック詳細が調べられる昨今、美容整形、という選択肢が過去よりは現実的になったことは否定できません。今回は、先日話題になったあの人のケースについて、薫さんの考察を伺います。

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あの人が、整形手術を受けたことを、ブログで発信、賛成意見が多かった特殊事情について

有村藍里さんの告白が、話題だ。整形手術を受けたことを、自らのブログにおいて写真付きで発表したこと、既に知っているはず。自らそれを語る勇気は賞賛されることが少なくないが、そういう決断をしたことにはやっぱり賛否両論あって、肯定派も、それで本人が前向きになれるなら別にいいんじゃない? 他人がとやかく言う話ではないしと言うスタンス。日本はどこまでいっても、顔を変えてしまうという行為に対し、両手を挙げて大の賛成はできないようだ。

でも、例外もある。有村藍里さんの場合は少し違った。それはカミングアウトというニュアンスではない、私やりました! きれいになりました! と言う喜びの報告。そこに後ろめたさはなく、美しくなれた感動でいっぱい。手術を手がけたクリニックの紹介もあったから、何らかのタイアップもあったのかもしれないが、そこも含めて批判はあまり聞こえてこない。整形が良いとか悪いとかそういうことより、本当にキレイになれたこと、しかも自然な仕上がりだったことへの賞賛がほとんどだったのである。少なくとも過去にこういう空気になった例はない。そもそもここまで大きく報道されることもなかったが、それもマスコミがこの整形をネガティブなイメージで捉えていない証拠。

なぜだかわかるだろうか?おそらくは、“有村架純の姉”として、注目もされた代わりに、似ていないというだけで、その分だけ屈辱を味わい、背負わなくてもいい苦悩を背負ってしまったことへの労りの意味もあったのではないか。たまたま日本で1番キュートかもしれない女優の姉だっただけ。本人に何の落ち度もないのに、妹と比較され中傷され、二重に傷ついたはず。世間は、何かそのことを後ろめたく、申し訳なく思っていたはずなのだ。そうした悲劇から自ら這い出して成功をつかむ……そのドラマを超えるようなドラマの一部始終を多くの人が目撃したからこそ、そのためのたったひとつの手段だった整形を世間が賛成してあげたい気持ちになったのだろう。

ただこれは極めてレアなケース。有村架純さんの姉でなければ、なぜ似ていないの? と揶揄されることもなかったはずだし、顔立ちのことをそこまで執拗に言及されることもなかったのだから。そもそも全く別の芸名でグラビアをやっていたところ、ある日突然、姉であることが報道され、にわかに注目を浴びてしまったというが、この時の脚光がそんな結果をもたらすなど想像もしていなかっただろう。確かに、名前を有村に変えなければ、ここまで大きなダメージは受けずに済んだかもしれないけれど、それ以前に、グラビアアイドルとして少しでも注目を浴びたいと考える、1人の女性のピュアな女心も世間はくんであげたのだ。

あくまでも一般論だが、より根深いコンプレックスは、家族との比較から始まるとも言われる。美人の母親に似ていないとか、姉妹と比較され、どちらが可愛い可愛くないと比較されること。それは、そういう環境から生涯逃げられない運命であることも含め、極めて残酷な比較であり、それが1種のトラウマになって重篤なコンプレックスを根付かせるとも言われる。それをこの人は、全国放送レべルで取り上げられてしまったわけで、これ以上気の毒な事はなかった。だからこそこの整形ばかりは、心から喜んであげたいと思う人が多いのだろう。よりキレイになったこと、正直妹にも負けないくらいキレイになったことを、これまでの人生の分だけ存分に謳歌してほしいものである。

結局、ちゃんとキレイになれれば、世間もちゃんと拍手する。そういう単純な法則があったのだ

美容整形に対して、日本は保守的だ。いわゆるプチ整形に関しては、いつの間にか定着していたと言うべきだろうけれど、メスを入れるような整形手術については「親にもらった顔を変えてしまうなんて」という言い方が未だあるほど。整形大国、韓国あたりでは、整形してますけど何か? という程度のスタンスだが、日本はひょっとすると、永遠にそこまではいかないのかもしれない。

だから不思議なもので、韓国の女優の誰誰が整形しているらしい、なんていう噂はもはやあまり囁かれない。半ば、していたって不思議はないと言う見方をしてしまうからこそ、そこへの関心もなくなるのだ。でも日本はまだそこまで受け入れていないからこそ、何かと言うと、この人は整形しているのでは?という話になる。

整形疑惑は長らくYahoo!ニュースの定番ネタになっているほど。だから整形した人に対し、世間は基本的に冷たいが、そういう意味でも今回の 有村藍里さんのケースは大変に稀。前述したような姉妹の比較という特殊事情が影響しているけれど、概ね賛成モードであるもう一つの理由は、やはり“結果”。仕上がりである。結局のところ、本当に美しくなったかどうかが実は重要なのだ。

世の中は、ある意味単純。大成功して本当にキレイになった人には素直に拍手を送る。本人が幸せになるのならそれでオッケーと言う論調でも、幸せになるのが目に見えているから批判はなかったのだと思う。何より、仕上がりがとても自然で、直したことが全くわからない。直した人の腕次第とは言え、やはり何をどう直すかと言うあたりのプランニングにも、その人のセンスや人間性が当然現れることから、それも含めての評価だったと言えなくもない。正直を言えば、整形で本当にキレイになれるかどうか自体疑問。いや意外に微妙だったりする。前の方が可愛かったケースはいくらでも。その時、手掛ける人のテクニックやセンスもあるけれど、それ以前にその人自身が何をどう直したかったか、そこに批判が集まったりするのだ。だからこそ見るからに不自然な印象になると、申し訳ないけれど世間は決まって批判的になる。それこそ「親にもらった顔を変える必要があったのか?」と 言う話になりがちなのだ。

唯川恵さんの小説「テティスの逆鱗」には、キレイになりたい欲望をエスカレートさせ“整形中毒”になる女が登場するが、紛れもなくそうなりがちな世界。だんだんバランス感覚を失っていきがちだからこそ、整形はできればしない方が、という価値観が支配してしまうわけで、要は誰もバランスを崩した女性を見たくないという思いの表れなのだと思う。こういうものに成功と失敗があるならば有村さんの場合は紛れもなく成功。大成功と言っていいのだろう。それどころか、口元全体を直したことで全く別人になっている。

はっきり言って目元や鼻だけを変えても人間の顔立ちはさほど変わらない。しかし、人間の顔立ちは顔の下半分、とりわけ口元が決めるからこそ、口元を変えると、それこそ親が見てもわからないほどまるで違った顔になる。顔のタイプが変わってしまうのだ。だから口元を変えるのは大手術だけれども、その代わり成果は大。目美人より口元美人の方がずっと美人、と言われるくらいだから。

でもそれだけに、親からもらった顔を大きく変えた事は忘れずにいてほしい。もうこれ以上、直すことを癖にして欲しくはないし、それが全国区で知られたことは確かな訳で、それによって新たに辛い思いをすることもひょっとしたらあるかもしれない。だからこそ新しい人生をよりパワフルに生きる覚悟をしっかり決めて。そして必ず必ず幸せになって欲しい。そこまでキレイになれたこと、大切に生きて欲しいのである。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
美容ジャーナリスト/エッセイスト。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ総会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』6月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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