齋藤薫の馨る女 EX
2019.3.23

友だちの多い女、少ない女を考える【齋藤 薫さん連載 vol.84】

SNSで誰とでもつながれる現代、あなたには友だちと呼べる人がどれくらいいますか? 大人になって、自分自身で選べるようになったからこそ、定義もその人それぞれなのかもしれません。薫さんの考える”友だち”について、うかがいます。

ree96b6f0a10400795d0ed8a8314c004f0

苦しみを共有してくれる友が本当の友なのか? それとも幸せを共有してくれる友が本当の友なのか? 謎多き、友だち論

まず聞きたい。あなたは友だちが多い女? それとも少ない女? その時、少ないと答える人はどうしても一抹の後ろめたさを感じてしまう。なぜ少ないのかを、一言説明したいという衝動に駆られてしまう。しかし友達の人数で、人間性を図ること自体、良いのか悪いのか、それすら曖昧なくら“友だち論”は未だ不確定なことだらけ。

例えば、「苦しい時に親身になってくれる友こそが、真の友だち」という哲学者の名言がある一方、いやむしろ、「自分が幸せになったときに心から喜んでくれる友こそが、真の友だち」という見方もあったりする。おそらくどちらも真実なのだろうが、少なくとも女同士の場合は、後者こそより揺るがぬ真実。

以前ちょっと話題になった一般女性へのアンケート結果、あなたは同僚の女性の結婚を心から喜べるか? に、6割が喜べないと答えていることを、ここでまた思い出してしまった。人は自分が幸せでないと、相手の幸せも喜べないと言うけれど、それ以上に、身近な人間同士ほど、その傾向が顕著に現れるのは皮肉な話。いや、一般論的な幸せなら、ざっくり望んであげられるのだ。問題は、自分より明らかに幸せになってしまうことも肯定できるかどうか、そこに友達の決定的な境界線がある気がする。現実に、結婚してから疎遠になる親友同士って、決して少なくないと言われるほど。

先日、歯科医師との結婚を発表した小倉優子、その馴れ初めはママ友の紹介と言う報道があった。シングルマザーとして頑張っているこの人に、1回目の結婚よりも何だか幸せそうな、この再婚をアレンジしたママ友は、信頼できる本当の友だちと見て良いのだろうと、女たちは直感し、ちょっとほっこりしたに違いないのだ。

ある男性文化人が、いみじくもこう言った。「女同士は同情しあうことはあっても、向上しあうことはない」最初は、 なるほどこれは鋭い、本当にそうかもしれないと思ったものの、周囲の友だち同士を見ていて、一転、真っ向から反論したくなった。逆に「向上しあえる友だち同士こそが、本当の友だち」であると。

確かに同情し合うのは簡単。同じ悩みを持つ者同士が、気持ちを共有すればいいだけなのだから。でも逆に言うならそれは、友達じゃなくてもできること。さっき会ったばかりでも、女同士は同じ問題を抱えていれば、突然心を開いて話ができる。極端な話、誰かの悪口で盛り上がれば、いきなり親友のように仲良くなれる。だから悩みの共有は、逆に真実の友だちを作りにくいである。ちらかの悩みが解消してしまえば、関係は大なり小なり変わってしまうから。

そうではなくて、お互いどこまで向上し合えるか。どちらも相手を自分より下には見ていないのに、お互いを引き上げ合える関係こそが、多分最強の友人関係となるのだろう。上質の女同士はそれを自然にやっている。そして共に幸せになっていくのだ。件の、小倉優子さんとママ友のように。

男はよく“女同士に友情は育たない”的なことを言いたがるが、正直そっくり 言葉をお返したい。男たちが、やたらに“一緒に何か始めたがる”のも利害関係での結びつきは強いからで、それは向上し合うことじゃない。悩みを共有するのと一緒、目的が異なれば関係も変わってしまう。女同士が一緒に化粧室に行くことを男たちは不思議がるけれど、女同士は利害関係ではなく共に時間を過ごし、共に心地よいことをして、そして共に幸せになろうと言う大きな大きなテーマがあるからこそ、行動を共にする。それが純粋な友だち関係の1つの正解なのだと今は思えるのだ。相手の幸せを願い、自分も同じ位幸せになろうとする2人。1つの高みに向けてお互いを高め合う2人。 それが理想の友だちのカタチである。

友だちを多く作らない女は、なぜ作らないのか? 友だちを多く作れない女は、なぜ作れないのか?

話を元に戻して、友だちは多いほうがいいのか? 少ない方がいいのか? それこそ一人ひとりの価値観が決めることで、どちらが正しいとは言えない。ただ、どちらにもネガティブがあり、どちらにもルールがあることだけは確か。

まず友だちが多い人は、広く浅くと言うバランスを保っているうちはいいけれど、アッという間に仲良くなった人と、アッという間に旅行に行ってしまうような乱暴な深まり方をすると、いたずらに軋轢や痛みを増やす危険をおかしがち。友人関係は、言ってみれば粘膜と粘膜で相手と触れ合うようなもので、相手に慣れていないうちは、ちょっとしたトゲが飛び上がるほど痛かったりするもの。時間をかけて友だちになることが、粘膜を次第にならしていって痛みを和らげることになる。男と女はワンセットになることが1つの本能だから、アッという間に関係を作ることも可能だが、生物学的にも女同士の方がむしろ性急な関係づくりに、高いリスクが伴うことを、大人になるほど知っておくべき。年齢を重ねてからの友人関係が作るキズは治りにくいのだ。でもそれ以上に問題なのは、友だちの増やし方に矛盾が出てきたり、表層的に見えてきたり、誰とでも仲良くできる柔軟性が、周囲の目にはやがて不誠実さに映るようになること。友だちが多いことは、一見良い人間性の証、しかしサブリミナル的に、貪欲で計算高く見える瞬間が必ず混じってくるということを、 肝に銘じておきたいのだ。友人関係にも 当然のことながら嫉妬やプライドが介在し、誰もが「自分はその他大勢の女?」 とは思いたくないから。

一方、友だちの少ない人の場合、当然のことながら、友だちを作らないのか、作れないのか、その違いはとてつもなく大きい。友だちをあまり作らない人の決定的な特徴は、人の心が読めてしまうこと。幸か不幸か、人の弱点、もズルさも一通り見えてしまうことが、必然的に友だちをどんどん濾過して最少人数にしているのだ。

よくこう言われる。異性との恋愛は続かないのが1つの宿命、でも同性とは別れちゃいけない。ひとたび関わりを持ったら、一生ものの付き合いをすべきであると。それも友だちとは人格で付き合うべだからで、友人関係で雑な付き合い方や終わり方をすると、人格が壊れていくからと。それって確かだと思う。女同士の付き合いほど丁寧に大切に心を込めて行わないと、自分自身の人格が危ない。

ちなみに、友だちを作れない人はやっぱり、自分にしか興味がないタイプ。友だちは、自分にとってのオブザーバーでしかないから、友だちとしてテイをなさないのだ。まぁそもそもこういう人に友だちは要らないのかもしれないが。全て自己完結してしまうのだから。

かくして、友だちと言うものを突き詰めていくほどに、そうそう多くの友だちを同時に持つことはできないことがわかってくる。そして人の心が読める同士、友だち少ない同士がより深い関係を築いていくこともわかってくる。別に、たくさんの友だちを作っちゃいけないとは言わない。でも、SNS上では、かつての“知り合い”以上に遠い、会ったこともない話したこともない人がどんどん「友だち」として増えていく時代、改めて、友だちの意味を見つめ直したいのだ。おそらく年齢を重ねていくほどに、人生における財産は本当に心から信頼できる友だち、それに尽きると思うようになるはずだから。今から警告しておく。乱暴な友だちの作り方をしてはいけない。粘膜が触れてもチクチク痛まない心の理解者を、育てていかないと。女友だちこそ、丁寧に大切に一生かけて育てていかないと。やっぱりたった一人でも真の友がいる人だけが、美しく見える……それが世の道理なのだから。

 

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
美容ジャーナリスト/エッセイスト。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ総会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『“一生美人”力人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』4月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

この記事をシェアする

facebook Pinterest twitter google+ Pocket

関連記事を読む

あなたにおすすめの記事