【齋藤 薫さん連載 vol.56】女上司と女部下の理想の姿とは
そもそも生物学的に、女には残念ながらボスとしてのDNAはありません。しかし、昨今、会社の高いポジションにいる女性が増えてきてるのも事実。彼女たちは、どうして〝人の上〟に立つことができるのでしょうか? また、仕事ができる理想の女部下とは? そこには、同じ空気が流れているような…。ご自身も女上司である薫さんに、女上司、女部下のあるべき姿を語っていただきます。
理想の女上司とは誰か?そこで1番重要なのは、
「〝サバサバした女〟の誤解を解くこと」
理想の上司は誰? というアンケートでは、大体その時代の旬の女優の名前が上がる。大人の女を代表する女優の名が。つまりそこに深い意味はなく、言うならばドラマの中の配役を決めるようなセレクトなのかもしれない。
いや誰が考えても、理想の上司は「サバサバしていて男のようで、でも女らしい優しさもある」……みたいな女性になるのだろうが、この〝サバサバ〟が実はくせもので、極端に言えば「プラダを着た悪魔」の悪魔も.サバサバした女と言えなくもないし、やたらに言葉が乱暴な女も、ズケズケとものを言う女も、相手の話を聞かない女も、ただの高慢な女も、またあんまり笑わない女も、やっぱりサバサバ見えてしまう。もっと厄介なのはこういう女たちが「自分はまさにサバサバした女であり、だから私はすばらしい」と誇りに思ってしまっていること。
確かにエキセントリックでないことは重要で、だから「上司はサバサバした女がいい」という法則が生まれたわけだが、この「サバサバした女」にまつわる誤解が、社会における女の働き方をゆがめてしまっている可能性すらある。つまり、ただの傲慢な女が、自分はサバサバした女だからかっこいい、すばらしいと思い込んだまま、周囲につらく当たりながら仕事してるケースが少なくないということ。そういう意味での被害者って決して少なくないと思うのだ。
だから改めて考えた、本当の意味でサバサバした女とは誰なのか? 実はこんな見方がある。本当にサバサバした女ほど一見そうは見えない場合が多いと。むしろ、言葉使いも良くて、デリカシーもあって、相手の話をよく聞き、思いやりもあって優しい、そして明るく前向き、笑顔が似合う、そういう女ほど、実は本当の意味でサバサバしていたりする。
そもそもが、細かいことにこだわらない、根に持たない、相手のせいにしない、人の噂話をしない、悪口を言わない、そして媚びない、作らない……そういう人こそがサバサバしているわけで、だったらわざわざ言葉が乱暴だったりする必要もないし、一方的に自分を主張する必要もない、わざわざ男っぽくする必要もないのだ。そもそも心にゆとりがあるから、そもそも性格がいいからサバサバできるわけで、だから結果、サバサバしてる女のほうがにこやかで穏やかで女らしかったりもするのが現実なのである。
例えば、夏目三久のような人? ひょっとして綾瀬はるかのような人? もっと言えば、山口もえのような、いかにもな癒し系だったりするかもしれない。どちらにせよ一見真逆のタイプに本当のサバサバな女が居るのは確かなのだ。
女が〝人の上に立つこと〟において1番難しいのは、部下と張り合わない事だそうである。生物学的に言っても、女には残念ながらボスとしてのDNAがない。猿山で雌がボスになる事はありえないのと同じ。男には、人の上で人を使いこなすと言うDNAが備わっているけれど、女は使いこなすより自分が動いてしまいたくなる。反対に、立場を超えて女王様になってしまうか。ちょうどよく人を使うバランス感覚を持ち合わせていないから、見せかけのサバサバでごまかす人がいるのかもしれない。でも本当の意味で人の上に立って人望を集めるのはやはり愛情に溢あふれた人。それだけは確か。上司になったら思い出してほしいこの話。
理想の女部下とは誰か?そこで1番重要なのは、
「さらなる評価を受けたいなら予想を超えること」
では、理想の部下ってどんな女性だろう。これはもう、素直で一生懸命で裏表のない、明るく礼儀正しいタイプ……に決まってる。どんなに時代が変わろうと、多分それだけは変わらない。世界中どこでも同じ、基本的に働く女性に求められる普遍的な条件だと言ってもいい。
そして、そこがクリアできればどんな職種のどんな企業に行っても、どんな部署に回されても、必ず可愛がられ、求められ、大切にされる。それだけは間違いないのだ。とすれば理想の部下も理想の上司と同じ顔ぶれになってしまわないか? 夏目三久に綾瀬はるか? と言うふうに。
もちろんそれは、上司がまともである場合に限られる。つまり人格的に未熟で、常にご機嫌をとっていなければいけないような上司の下では、このごくごく当たり前の法則が成り立たないが、でもそういう上司はいつか失脚すると想定して、黙々と仕事をするしかないのが仕事。
でも、それ以上の評価を得たいとしたら、そしてもっと前に上に進みたいとしたら、ここにもう一つ条件を加えなければ。それが、相手の予想を超えること。サプライズのある女。誰? と言うなら、例えばだけれど、いちいち予想を超えてるローラみたいな?
つまり、〝言われたことをきちんとやる〟だけではない、その先のことまで見越してやってしまう。100点止まりではなく、120点のことができる人。それも、評価を受けたいがための、〝余計なこと〟ではない、今これをやっておけば、よりベターであることをちゃんと読み取れる、正しい判断力と想像力に長けている。だから相手を、大なり小なり感動させることができるのだ。
そう、どんな職種においても、本当の意味で素晴らしい仕事をするということ。誰かを感動させることなのだと思う。女優の仕事も、演技や美しさで予想を超えられるかどうか、それが未来を決めるのだと思う。もちろん音楽家は、奏でる音楽で人を感動させるのが仕事だけれど、事務系のOLだって、実は同じなのだ。誰かを感動させてこそ、やはり働く喜びと感動を得られるのではないだろうか?〝やりがいのある仕事とない仕事〟という分け方があるけれど、むしろ人を感動させられれば、どんな仕事でも〝やりがい〟は生まれるのではないか?
それこそ「プラダを着た悪魔」では、アン・ハサウェイ演じる、新人アシスタントが、悪魔の無理難題に応える場面がある。まだ出版されてない本を、自分の子供に今すぐ読ませたいから用意しろと言う編集長の無茶苦茶な命令に、アシスタントは必死で応えて、ゲラのコピーを差し出すのだが、その時、悪魔は、「ふん、ウチの子は双子よ、2冊なければダメ」と、用意していたかのようなダメ出しをするのだ。しかしそこでアシスタントはこう言い放った。 「はい、ちゃんと2冊製本して、表紙もつけて、もうご自宅にお届けしてあります」
まさに胸のすくようなシーンだった。冷酷な〝仕事の鬼〟の予想も超えていく仕事ぶりは、悪魔をも少なからず感動させたはずだし、自分自身も感動したはず。サプライズのある女とは、まさにそういう仕事の仕方ができる女と言うこと。だから、働くことにおいては、どんなに小さくても良いから、予想を超えたい。たとえお茶くみでも、予想を超えるお茶のおいしさで人は感動するのだから。
美的12月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。