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2019.7.27

ハイヒールを履かなくなった女たちへ!【齋藤 薫さん連載 vol.88】

ファッションのトレンドがどんどんコンフォータブルなものに向かう中、ハイヒールを履く機会が昔にくらべて、ぐっと減った人も少なくないはず…。今回は、女性にとってのハイヒールの存在意義について、改めて考えてみたいと思います。あなたも久しぶり? にヒールを履いて出かけたくなるはずです!

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フラットシューズの女性は、なぜカンヌ映画祭で入場を拒否されてしまったのか?

世界中からVIPが訪れるカンヌ映画祭。そこで起きた珍事に、何だかちょっと考えさせられた。なんと、フラットシューズを履いて現れた女性が、入場を拒否されたというのである。

今の時代にそんなこと? にわかには信じ難いし、一体どんな基準があって入場拒否できるのか、改めて物議をかもしている。フラットシューズを履いてきたのは、あるメディアのエディターだったというから、取材の為だったのは明らかだが、それでも拒否するのは、やはりある種の女性差別ではないのか?“職場でのハイヒール強要”は、明らかに女性差別。だからここでもう一度ハイヒールの是非を考えてみたいのだ。

いわゆるドレスコードで、入場を拒否されるのは、言うまでもなくジャケットなし、ノーネクタイの男性に限られ、不思議に女性には明快な基準が設けられていない。それも、基本的に紳士がエスコートする女性は、それだけでオッケー。基準がないのも、女性はドレスアップの程度にかかわらず、見た目にエレガントならばそれで良しと考えられているからなのだ。そこにはちゃんと女性というジェンダーに対する敬意がはらわれていると言っていい。

だから今回の場合、ジーンズで現れたのならばともかく、トレンドとしてのフラットシューズもあるわけで、そういう意味でも、あまりに尊大、あまりに強権的ではないのかと。しかもこれは、初めての事ではなく過去にもフラットシューズの女性が入場を断られ、それに抗議する意味で、裸足でレッドカーペットを歩く人たちも現れたと言う。

ただひょっとすると、実際本当に誰が見てもエレガントには見えない無為無策のフラットシューズだったのかもしれない。そこは定かでは無いけれど、このカンヌ映画祭は、美貌を売り込む女優やモデルの“卵”的な女性たちが、世界中から集まることでも有名。つい最近も、ほとんど裸のようなトップレス風のドレスを着た中国人女性の出現が大きなニュースになったばかり。普通に考えたら完全にアウトだが、やはり100%売り込みにやってきた“女優の卵”だというその女性は、品性には欠けるものの実際美しかったからか、すぐには追い出されず、むしろマスコミの注目を集めてしまった。

うがった見方をするならば、そこはフランス。ドレスアップシーンでは、セクシーであることが女性の義務であるかのように考える国ゆえの、特殊な基準があるのではないか。もちろんフラットシューズ=セクシーでないと考えるのは大きな間違いだけれども、ひょっとしたら入場拒否された女性は、まるで喧嘩を売ってるようにわざわざセクシーに反して見えたのかも。もちろん、半裸な露出がセクシーだとは言わないが。

しかし最低、“異性の目を意識しているかしていないか”、そこで女性としての魅力が測られるような物差しが、そこにはあるのではないかとも思う。

とても不思議だけれど、ハイヒールを履くと女がちゃんと女に見える。ハイヒールを履くと、ちゃんと異性の目を意識している、艶かしい女に見える。これはもう理屈抜き、見るからに男勝りの女でも、ピンヒールを履いた途端に“女性”性が溢れ出すのは紛れもない事実なのだ。何より、ちゃんとエレガントに美しく見える。美人と言うカテゴリーがあるならば、ピンヒールを履くだけで、女はその領域へ足を踏みいれられるのだ。

女はなぜハイヒールを履くのか? これは女はなぜ化粧するのか? と同じくらいに、実は本能的で性的な行為なのである。女はハイヒールで女になる。その事実にここで改めて気づいてほしい。このフラットシューズの悲劇を教訓にして。

1年に1足は、美しいハイヒールを買おう。年中履かなくても、眺めているだけであなたの中で、女が覚醒する

ハイヒールの起源は諸説あり、ひどく汚れていたパリの街で、ドレスの裾が汚れるのを避けるために生まれた高下駄がルーツとする説もあるが、もっともっとずっと昔に、やはり背を高く美しく見せるため、貴族の女性や高級娼婦がかかとの高い靴を履いたのが始まりとされるのが正解のようだ。ルイ王朝では男性もハイヒールを履いていた。やはり耽美主義の結晶なのである。

しかし、ハイヒールはやがて特別な意味を持つようになる。一説にそれは非常に性的な効果を持ち、女性がヒールを履くと女性ホルモンが高まるとも言われるのだ。その理由にも諸説があるが、そこには心理的な作用もあり、また肉体的な作用もある。ハイヒールを履きつづけると痩せるという、不思議な効果を信じざるを得ないような話も。ともかくハイヒールを履くと、女は精神的にも肉体的にも女性であることを自覚できるのだ。だから女らしさが内面からほとばしり出る。それは単にイメージや見た目の問題ではない。あくまで生理的な現象である。 そのせいだろうか。ハイヒールにはマニアが多い。有名なのは、かつてのフィリピン大統領マルコス氏のイメルダ夫人。

その贅沢ぶりが国民の怒りを買い、マルコス氏は「ピープルパワー政変」で失脚、ハワイに亡命しているが、夫人の靴コレクションは3,000足を超えると言われ、博物館までできている。

もちろんイメルダ・コレクションは靴だけではなかったが、靴への異常な執着がさまざまに語られたのは確かである。しかし上には上がいる。歌手のセリーヌ・ディオンは、なんと一万足の靴コレクションを誇り、靴専用の倉庫を持っていると言われる。1年365日毎日違う靴を履いても、すべて履きこなすには30年かかる。一体どうする気なのか、極めて不可解だけれども、マニアとはそういうもの。

ただ、バッグのマニアや、宝石マニアとは、やはり意味が違う。フロイト的に言えば、ハイヒールへのこだわりは男性への執着であり、サテイズム的嗜好の表れなのだろうが、もっとナチュラルに考えればやはり靴は“女性”性の証。ハイヒールを見るたびに女が覚醒し、ハイヒールを履くたびに女性ホルモンの分泌が高まり、体の中に女が充満していくような感覚になるのかもしれない。

だから、当然のことながらマニアになる必要など全くないけれど、ハイヒールを見ると全身から女が溢れ出てくるような感覚は、女としてやっぱり大事にしたいのだ。美しいハイヒールを見て何か胸がときめく気がするのは、たまたまではない。あなたの中の“女性”性が目覚めている証。それだけでも女はキレイになれることを知っておいてほしい。

そもそも女の靴のフォルムは世にも美しい。ただそこにあるだけで、見とれるくらいに。でもそれはただのオブジェの美しさとは違う。女性の肉体的な美しさを描くようなエロチシズムがあるからこそ、本能に働きかける。だから美しいハイヒールに出合ったら、せめて1年に一足は手に入れよう。そして年がら年中履く必要はないけれど、時々眺めては足を入れる。またそのヒールがちゃんと映える服を着て、気取って歩く。それもまた重要な美容なのだと思う。

おそらくハイヒールを履いた日は、異性の目や、同性の目があなたを追ってくるはずだ。そういう自分を時々確かめてみてほしい。ドレッシーな服ほどスニーカーを合わせることがおしゃれな時代、だったら少年のような服にハイヒール、改めてハイヒールの力を見直したい。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。「Yahoo!ニュース『個人』」でコラムを執筆中。『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレックス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

『美的』8月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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