「芸人を志してNSCに入ってくれた過去の自分に感謝」お笑い芸人 蛙亭 岩倉美里さんの“転機”とは?
美容や人生のターニングポイントを迎える人も多い『美的』読者。仕事、恋愛、お金、人生etc.、価値観の大きな変化を感じることもありますよね。二十歳という節目を迎えた『美的』と一緒に心新たに前へ!の気持ちを込めて、今この人から話を聞いてみたい、という方に語っていただきました!
お笑い芸人 蛙亭 岩倉美里さんの「転機」の話。
「不幸からは全力で逃げる」をモットーに走り続けて今幸せです
私の31年間の人生の転機は、小学生の時に見た吉本新喜劇です。なんばグランド花月で初めて漫才、諸芸、新喜劇を目にして、「舞台の上から人を笑わせているあの人たちすごい!私も将来あの人たちみたいになりたい!」と、感銘を受けその日から将来の夢が吉本興業に入りお笑い芸人になる事になりました。
高校を卒業して、NSCに入るための入学金を2年間アルバイトをして貯めました。焼肉屋さんと交通整備のアルバイトをしていました。交通整備のバイトをしようと思ったのは、芸人になった時に何か一つでも変わったアルバイトをしておいて、エピソードを持っておいた方がいいかなという思いで、朝9時から夕方5時までで日給5000円の、簡単に計算できるけどなるべく時給に換算しないようにしていたバイト先で働いていました。唯一できたエピソードが、工事現場でドリルを使って作業をしているおじちゃんは休憩に行く時、ドリルを置いても少しだけ余韻で上下に揺れながら歩く。でした。どこで話しても信じてもらえません。嘘つき呼ばわりです。炎天下の中、熱中症になりながら働いたあの日々はどうやら無駄だったようです。
お金が貯まり、NSCに入学し、今の相方と相方探しの会という授業で出会いました。私の大喜利が面白かったという理由で声をかけてくれたそうです。そこから仲良くなりコンビを結成しました。相方は入学前、吉本興業に行くか人力舎に行くかどちらか悩んでいたそうです。私も少しだけ人力舎に入りたいと思っていたので、もしどちらに入っていても今の相方と出会えていた気がします。21歳から8年間大阪で活動し、9年目から東京の方に所属する事にしました。2019年のキングオブコントで初めて準決勝に進むことが出来たのですが、そこが自分の中で大阪から東京に行きたいなと思う転機になったと思います。
ネタをやってみて、大阪にいても東京にいてもやることは同じだけど、早くこの地に慣れておきたいという気持ちで上京しました。大阪から東京に行くことは結構寂しかったです。行きたくない理由を考えたら寂しいということだけだったので行こうと決めました。
東京での生活は色んな刺激がありとても充実しています。キングオブコント優勝を目指し今後も精進していきたいと思います。今自分が芸人でいられているのがとても幸せです。芸人をやれているのは周りの方の支えのお陰です。でも、一番は芸人を志してNSCに入ってくれた過去の自分に感謝です。自分なんか芸人になれないと思っていたし、辛い時期は悲しいことばかり考えていました。そんな時期に、心の中の転機になった言葉があります。
「幸せになるには不幸から全力で逃げることだ。」
という言葉です。最初は、そんな簡単じゃないだろうと思いましたがとにかく実践してみました。そこから幸せだなと思えることが少しづつ増えていきました。今もこの言葉が胸にあります。色んな転機がありましたが、全て素敵な方に転んでいって毎日本当に幸せです。これからの人生も自分の信じたことを選んで決めて進んでいこうと思います。
コンビ結成1年目のころ、賞レース予選会場にて撮った写真。夢に向かって走り出した実感があり、ワクワクしていました。
『美的』2021年5月号掲載
イラスト/市村 譲 構成/野村サチコ、宮田典子(HATSU)
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。
いわくら・みさと/1990年生まれ。宮崎県小林市出身。NSC大阪校34期生。2012年中野周平と「蛙亭」を結成。 ネタ作りを一手に担い、コントを主力に漫才も行う。さまざまな男女の設定を生かしたシュールな世界観で人気。2020年4月に東京進出を果たし、今後の活躍がますます期待されている注目株。
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