記憶に残る女は、魂レべルが高い【齋藤 薫さん連載 vol.74】
一度嗅いだら忘れられなくなるいい香りのように、人の“記憶に残る女”になるためには、どうしたらよいのでしょうか? 見た目の美しさだけではない、内面までに関心を持たれるには…。そこには、全てのことに心をきちんと向けて生きる、関わった全ての人に丁寧に向き合える、魂レべルの高さが必要です。「もう1度会いたい」そう思わせる女性になるための術を薫さんに教えてもらいます。
亡くなって30年余り経つのに、世間が諦めていないあの人の存在に思う。「記憶に残る女になりたい」と
多くの読者は当時まだ小さくてほとんど記憶にないだろうが、史上最悪の飛行機事故とされた御巣鷹山の日航機墜落事故があった夏、実はもうひとつとても悲しい出来事があった。女優の夏目雅子さんが白血病におかされ、27歳と言う若さで亡くなったこと。
今思えば、まさしく日本のオードリー・ヘプバーン。透明感のある清楚で知的な美しさは、当時、日本一と謳われ、圧倒な人気を誇っていた。今はもう誰も口にしない言葉だが、当時は“美人薄命”という表現が散々使われた。結婚1年目の悲劇でもあったから。
女性が1番美しいかもしれない年齢で、ましてや幸せの絶頂での夭折。だから世間が未だそれを諦められないということなのか、映画チャンネルなどでは、半ば毎年のようにこの人の特集が組まれている。その後何人もの「ポスト夏目雅子」が登場したものの、申し訳ないが、やはりこの人が作ったあまりに大きな空席が埋まることはなかった。単なる美人女優ではなく、類稀な透明感と清潔美の象徴のような人だったから。映画ではヌードにも挑戦し、デビューは露出満点の水着、それでも尚この人が、清潔美のお手本とされてきたのは、女の透明感は “脱いだこと”さえ清らかな映像にするほど強烈な浄化作用をもつからなのだろう。「瀬戸内少年野球団」など、教師役が多かったのも、“清く正しく美しい日本の女”のイメージがこれほどピタリとはまる人がいなかったから。今もし存命だったら、どのように歳を重ねていたのか、それを現実に見られないのは、今更ながら日本の女の損失だと思えてくる。美人女優はいくらでもいるけれど、ここまで人の心に刻みつけられる存在はそう多くない。例えこの人が、今なお健在だとしても……。どちらにせよ、亡くなって30年以上経つのに、忘れられない諦め切れない、そういう存在であり続けるのは、ひとつの奇跡。それこそ永遠のミューズとなった若き日のオードリーと同じ役割を持たされつつある。それも、見た目の透明感同様、心の奥深くまで大変にピュアな人であったことが度々話題になってきた人だから。
例えばとても有名な“逆プロポーズ”のエピソード。今やひとつの美談として語り継がれているけれど、長年不倫関係にあった作家の伊集院静氏に、自分の方から「私と結婚すると楽しいと思うんだけどな」と愛らしく結婚を望んだのは、まともに考えたら略奪愛としてバッシングの対象になっても不思議ではないはずだが、世間はこの人の素直な前向きさに拍手すらした。そこまで人々はこの人を愛したのだ。なぜ? 日頃の優しさと絶やされない笑顔の透明感が、そうしたネガティブを上回るほど、人の心を洗う浄化作用を持っていたから。いや、そうとしか考えられない。
この人の最後のプライベート映像は、密かな入籍の後、鎌倉の自宅の庭で結婚の喜びを悟った眩いほどキラキラした笑顔。それが全ての人の心にそのまま残っている。女は、世間の記憶の底に笑顔で残っていくべきだと度々書いてきた。つまり、誰かがあなたのことを想い浮かべた時、笑顔しか浮かんでこないような表情で生きていくべきと。その完璧なサンプルが、この夏目雅子さんなのだ。
何よりも、たった27年間の人生でこれほどまでに人の心に自分の思い出を残すって凄いこと。ふと思うのは、自分もそんなふうに誰かの意識の中に、ひとつでもふたつでも良い記憶を残せるのだろうかということ。人の記憶に残る女……新しいテーマである。
自分にしか関心のない女は、人の心も動かせず、記憶にも残っていかない。それは人生最大の損失!
「一番悲しいのは、死んでいく女ではない、忘れられた女である」
マリー・ローランサンの言葉……非常に重い言葉である。でも本当にそう。女は忘れられてはいけないのである。決して。もちろんこれは、孤独に生きてはいけないと言う意味だけれども、そのためには、やっぱり人の心に絡みつき、様々な場面で人の記憶に残るような存在でなければいけないのだという教え。
例えば小学生の頃のクラスメイトで、卒業以降全く会っていないのに、記憶の片隅に今も存在している人っているはず。何だか1人大人っぽくて、何があっても落ち着いて見えた女子。こちらが批判にさらされた時、味方をしてくれた女子。それこそ笑顔が信じられないほどキュートだった女子。頭がよくてスポーツもできて、でも優しかった女子。絶対に人の悪口を言わなかった女子……理由はいろいろだけれど、彼女たちは一体どんな大人になっているだろうと、同窓会を楽しみにしていたら、皆揃って本当に美しく素敵に成長していた。言葉は悪いが、誰1人“脱落者”がいない。それどころか、自分の記憶の中でずっとキラキラしていた彼女たちは、本物の輝きをまとって現れた。誰かの意識の中で生き続けている女性は、紛れもなく年齢とともに進化を遂げる、それだけは間違いないのだ。
いい香りは、一度嗅いだら忘れられなくなり、何度でも蘇っては情景ごと思い出させ、何度でも心震わせる。香りは記憶に棲みつくものと言うけれど、記憶に残る女も、香しさと同じ効力を持っているのだ。男の方が別れた女への想いを引きずりやすいと言われるけれど、それも女の方が香りに近いから? せっかくだから、別れた男の記憶の中でも良い思い出として残りたいわけだし、そういう意味でも香りのような女でいなければ。いずれにせよ、記憶に残る女は魅力の奥行きが半端ではないという証である。
だから思うのだ。たまたま見かけただけなのに、忘れられなくなる女性に対しても、人は皆「彼女は一体どんな生活をしているのだろう」と想像を巡らす。見た目だけではない、その人の人生にまで関心を持たされた証。見た目への関心だけなら「一体どんな美容をしているのか」 レべルで終わる。そうではなくて、彼女の人生にまで引き込まれていくわけで、 その引力たるや大変なもの。だからただ見た目だけでなく、内面にまで関心を持たれるかどうか。それが「忘れられた女」 になるか否かの別れ道なのだ。
もっと言えば、記憶に残るクラスメイトたちが皆素晴らしい成長を遂げていたのも、おそらくは魂レべルが高いから。人として精神的に高い位置にあるから。それこそ目には見えないけれど、忘れられてしまう人との決定的な違い。先に語った夏目雅子と言う人がまるで永遠の命を持っているように感じるのも、彼女の魂が強烈に澄んでいて、とても高い位置にあったから。この人は、自分が不利になる事は正直に言い、でも相手は追い詰めない典型的なタイプだったと言われる。
さらに言えば、魂レべルが高い人は、すべてのことに心をきちんと向けて生きられる。自分が関わった全ての人、全てのことに丁寧に向き合える。だから相手の気持ちにいちいち絡みつくのだ。逆に、気持ちが全部自分にしか向いていない人は、誰の意識にも引っかからない。つるっと忘れられてしまうということ。考えたら、自分のことにしか興味がない人が、 誰かの記憶に残るはずはない。そこだけは間違いないのである。
年齢を重ねるほどに思うのは、人生における財産は、自分自身ではなく、自分を必要としてくれる人がどれだけいるか、最後はそこなのだ。記憶されない女は結局孤独。まず人の記憶に残って、あの人ともう一度会いたいと思わせること、そこからやり直してみたいのである。
『美的』6月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。