オードリー・ヘプバーンが崇拝された謎が今、解ける!【齋藤薫「大人美のマナーとルール」vol.8】
日本の女性誌史上、最も登場回数が多いのは、紛れもなくこのオードリー・ヘプバーンなのだろう。「好き」を越えて、崇拝さえされるのは、一体なぜなのか? 一本の映画を機に、その謎が全て解けていく。【齋藤薫「大人美のマナーとルール」vol.8】
若い頃のポートレートが未だ神通力を持つのはなぜ?
(c)PictureLux / The Hollywood Archive / Alamy Stock Photo
日本女性は、ともかくオードリー・ヘプバーンが好き。いや、ただの「好き」ではない。崇拝している人も少なくない。昭和の時代から、女性誌では何かにつけてオードリー・ヘプバーンをクローズアップしてきたが、それもオードリーの写真が1枚あるだけで、必ず注目度の高い記事になるという不文律があるからなのだ。
それこそ誰もが何度も目にしているモノクロのポートレート。それは「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」、そして「ティファニーで朝食を」といった時代のもの。いってみれば半世紀以上前のものである。
そんな昔の画像なのに、わずかも古さを感じないこと自体が不思議だが、それ以上に、とにかく眺めていたい、見ているだけで幸せ、そんな風に思わせてしまうポートレートって、オードリー以前もオードリー以降もなかったはず。なぜ目にしているだけで心地よくなるのだろう。とても大きな謎である。
でも今回、5月6日公開のドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」を観て、その謎が解けた気がしたのだ。理由は3つ
実はアイメイクが強かったオードリー。それは、現代の宗教画?
オードリー・ヘプバーン
配給:STAR CHANNEL MOVIES
5月6日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国公開
オードリーには、ずっとナチュラルメイクのイメージを持っていたはず。ところがよく見ると、アイメイクはすこぶる強い。この映画のメインビジュアルとなっている若い頃のポートレートは珍しくカラーだが、トゥルーレッドの口紅もさることながら、アイメイクは盛り盛りの最大級。これを見るとより明快だ。眉は幅1センチ位の野太さで隙のないブラック。アイラインなのかまつげなのか、極めて強い縁取り。少なくともつけまつげは3枚ぐらい重ねているのではないかと思うほどのボリュームと長さ。瞬きのたびにパチパチと音を立てそうだ。
つまり、尋常じゃない目の強さがあってこそ、あの神秘的なまでの引力が生まれていたのだ。なのに顔立ちの中にあまりにもさり気なく収まっているから、それがメイクに見えない。本当に不思議。こんなメイクができたら、誰だってミューズになれるはず。
もちろん今とは時代が違う。50年代60年代はこんなふうに、アイラインもまつ毛も眉毛も最大級のメイクをしていた時代、同じようには表現できなくても、顔の中に自然に溶け込んでいく強いアイメイク、もう一度挑んでみてほしい。ポイントはアイシャドーに頼らないこと。いっそアイシャドーは塗らず、あくまでも、ほぼブラックで、まつ毛と眉毛の強調のみ。もともと顔にあるものの強調しかしていない。そう、だからナチュラルに見えるのに、力強く人を虜にしてきたのだ。
ファッションは、恐ろしくオーセンティック
半世紀以上も前のポートレートがいずれも決して古く見えないのは、ファッションが時代を超えたただならぬオーセンティックだからである。「ローマの休日」でほぼ出ずっぱりの衣装は、白いシャツにサーキュラースカートのみ。それこそ今も誰もが持っているもの。サブリナパンツの有名なポートレートも黒いタートルネックに黒いパンツのみ。きっとみんなの家にある。
そして最も有名な「ティファニーで朝食を」の冒頭場面のポートレートは、全く以てミニマルな黒のチューブドレスにイミテーションパールをジャラジャラと。これもまたみんなのクローゼットにあるはずなのだ。
ともかく時代を超えたファッションは、さらに50年後もずっと新鮮に映るはず。シンプル イズ ビューティフル。ミニマル イズ クール&エレガント。しかもオードリーの場合、キュートなヘアスタイルとバレリーナを目指した細く鋭敏なボディも相まって、カワイイのにカッコいいという、相反する要素を併せ持っているからこそ、誰をも納得させ、魅了させ、虜にしてきた。それに尽きるのだ。
オードリーは特別な人、ライトワーカーだった?
「あの人はライトワーカーよね」そんなふうに噂される人がたまにいる。スピリチュアルの世界ではよく知られる概念だけれど、ライトワーカーとは、生まれつき、世のため人のために、何かをしてあげたいと言う利他の精神を持つ人々のこと。周りの人に光をもたらす仕事だからこそライトワーカー、
もちろん神様の采配なのだろうけれど、確かに世の中には捨て身で人を助ける人がいる。自分を犠牲にしてまで相手のために動く人がいる。振り返ればクラスに1人や2人はいた。誰に教えられるでもなく、利他の心を持っている人が。なんでそんな風に、他人を思いやれるのだろう、周りにそう思わせる人が。
例えば、迷うことなくボランティアや慈善活動に携わっている人は、だいたいがライトワーカー。医療や介護に携わる人。何かを教えたり導いたりする人にもきっと多いはず。でもそういう仕事ばかりじゃない、人を感動させるアーティストや芸術家、もっと一般的な職業でも、周囲の人のことを常に気遣っている人は、ライトワーカーなのだそうである。
ちなみにそういう人ほど子供時代は苦労を強いられ、逆境にあったりするらしい。だから人の傷みがわかると言うことだろうか。大人になっても例えば結婚運が悪いなど、順風満帆とはいかない。賑やかで華やかな世界に馴染めず、孤独になりがちだったりもするらしい。同時に虚栄心や野心がなく、同じ医者でも医者のステータスを望まず、無医村に行くようなタイプ。
一度も美容整形を受けなかった、聖母マリアのような人
そうした条件を見るにつけ、そしてこの映画を見進めるほどに、不遇の子供時代を送り、晩年をユニセフ親善大使として難民救済に人生を捧げたオードリー・ヘップバーンもライトワーカーだったに違いないと思えるのだ。しかも中には自ら光を発し、姿を見ているだけで相手を幸せにする、聖母マリアのような美しさを持った人もいると言われる。まさにオードリーそのもの。彼女のポートレートがまるで宗教画のように、いつまでもいつまでも時代を超えて愛されるのはそれがため。目の光が強いのも、文字通りライトワーカーの特徴だとされるのだ。
(c)Trinity Mirror/Mirrorpix/Alamy Stock photo
オードリーは女優としての全盛期に、映画の仕事を10年間も休んでいる。家庭を守り、子供とずっと過ごすため。スイスの郊外に家を買い、心静かに暮らしている。女優として脚光を浴びるより、家族の幸せを選ぶのだ。にもかかわらず離婚に至り、2度目の結婚も夫の度重なる浮気により破局、実際結婚には恵まれなかったが、その後に出会う人とは事実婚の形で、晩年までの10年間、共に幸せな時代を過ごしている。
(c)Sean Hepburn Ferrer
またその美しさを世界中に絶賛されながら、若さにしがみつく事は一切なく、美容整形をおそらく1度も受けなかった稀有な女優である。同年代で一世を風靡し、不自然なまでに若さ美しさにこだわり続け、脚光浴び続けることを望んだエリザベス・テイラーとは、真逆の女優人生を送ったのである。どちらが幸せな人生だったかわからない。しかし亡くなってすでに30年、今も女性たちの憧れであり続け、生き方の規範となっていることに、1つの答えは見えている。そして今私たちも、改めてオードリーの美しさについて、考えてみるべき時なのではないかと思う。若さよりも尊いものがあること、尊敬される美しさというものがあることを、この映画をきっかけにぜひ一度見直してみたいのである。
いずれにせよ、身も心も本当に清らかなだったこの人に今改めて敬意を表して、こう言いたい。オードリーよ、永遠なれ。
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