齋藤 薫がひもとく、ファビオ・ルイージの指揮に宿る美意識
美容ジャーナリストの齋藤薫さんは、実は大のクラシック音楽愛好家。ドイツの音楽祭に毎年定期的に訪れるなど、真の“クラファン”が見る、ファビオ・ルイージの魅力とは。
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これはクラシック音楽に限ったことではないはずだが、何度もコンサートに足を運んでいると、時折とてつもない経験をすることになる。言葉にするのは難しいが、もうここで命が尽きても悔いはないと一瞬思うくらいに深い深い、圧倒的な至福に包まれる時があるのだ。感動という概念以上の感覚に満たされることが。
大げさに聞こえるだろうが、同じ境地に達したことがある人はきっと少なくないはず。同じコンサートに行った友人たちと、まさにその究極の瞬間について話し合うと、不思議なことに皆同じように、“一瞬もう死んでもいいくらいの感覚になる”という言葉を口にするのだ。
そうした体験の幾つかは、まさにファビオ・ルイージ氏のタクトによるものだった。これまた不思議なことに何年も前の感動がたった今のように生き生き蘇り、それを共有した人とは何度でもその感動を持ち出しては語り尽くすことができてしまう。

まず忘れもしない、ルイージ氏NHK交響楽団首席指揮者就任記念コンサートのひとつ、ヴェルディの「レクイエム」。これは文字どおりの天上の音楽、きっと多くの人が神を感じたはずだ。元々クラシック音楽は神とつながるために教会で始まったもの、そういう音楽の神髄を全身で感じ、自然に涙があふれたりして。このとき、ルイージ氏のN響首席指揮者就任を日本人がどれだけ喜んだか、想像してみてほしい。
いやそのもっと前、今から10年も前の松本サイトウ・キネンでのマーラー5番への驚嘆もまざまざと思い出す。これもクラシックファンの間で今も語り継がれる超名演として歴史に刻まれる程。ある音楽評論家は、作曲家であり大指揮者でもあったマーラーが乗り移ったようなルイージ氏のダイナミズムと優美さに圧倒されたと語った。
そして、こんなことがあるのかという驚きがあったのが、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を振ったドヴォルザークの「新世界」。正直このわかりやすい曲を私たちは小学生の頃から散々聴いてきて、耳慣れしすぎているために、いかに良い演奏でももはや感動できなくなっていた。ところがどうだろう。長い眠りから突然呼び起こされるよう強烈な感動が押し寄せ、予想外の分だけ酔いしれたのだった。

緻密にして大胆、哲学的にして劇的、颯爽としていながら官能的……。そうした矛盾を操るマエストロは、評論家にとって、良い意味で神秘的な存在だといわれる。矛盾した二面性を持つ香水ほど、奥深く妖しく芳しいとされるように。メトロポリタン歌劇場でのワーグナーでグラミー賞をとる程の話題となったオペラ指揮者でありながら、一方でマーラーとブルックナー、ハイドンといったそれぞれ全く異質の音楽を見事に構築し分ける仕事ぶりも含め、指揮者としては確かにミステリアスな人。でもそれこそが美の本質を知る人である証しとは言えないか?
いわゆる音楽性とは違う“美意識”が大量に加わったとき、音楽はまた別の次元へと昇華するはず。音楽の世界では、なぜか美意識についてあまり議論されないが、音楽は本来この世で最も厳密かつ感情豊かに美を極めるもの。だから耽美的に美しいものを溺愛する美意識の高い人程、音楽で人の心を存分に震わせられるのは当然のことなのである。
奇しくも今、芸術と美しさの関係が科学的に明らかになりつつある。自律神経やストレスホルモン系への影響のみならず、「神経美学」なる新しい学問が、音楽を聴いて「美しい」と感じる脳と美しい人を「美しい」と思う脳が一緒である事実を明らかにし、美的経験が脳内で統合され自我を高める可能性も見えている。
そんな時代だからこそ、この世の美の果てに身を委ねるように、聴いてほしいのだ。美の本質を知る人が紡ぎ出す音楽を、本能の赴くままに。

ファビオ・ルイージ
FABIO LUISI
NHK交響楽団首席指揮者。イタリア・ジェノヴァ出身。これまで数々の著名楽団主席指揮者や音楽監督を歴任し、N響には2022年着任。契約期間満了の28年9月には「桂冠名誉指揮者」の称号が授与されることが決定している。この称号はN響を長年にわたって指揮し、その芸術性向上に多大な貢献を果たした指揮者に贈られるもので、歴代3人目。
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