【齊藤 薫さん連載 vol.50】センスがない女は、キレイになれない
誰もが憧れる、尊敬される女性は、知性だけでなく〝センス〞がなければなりません。
そもそも、〝センス〞とは? 先天的、後天的? どうしたら磨かれるのでしょうか?
今月は、カッコイイ女になるための条件、〝センス〞について、薫さんに語っていただきます。
美少女も〝普通の人〞にしてしまう……
センスがないと、美人は育たない
中学生の頃、女子までが憧れるほどの美少女がいた。でも、大人になってたまたま見かけたその人は、ごくごく“普通の人”になっていた。いや、申し訳ないけれど、むしろ冴えない印象になっていて、美少女の面影はどこにもなかったのだ。一体何が起こったの? じつは、ひと目でわかってしまった。その人のことをまったく知らないのに、原因は明らかだったのだ。それはずばり、センスがないこと……。
制服姿からは見えなかったセンスの有無。でも大人になると、それが全身のあちこちに明らかになる。そしてセンスがないと、順当に美しくなれないことまでが、そこに示されたのだ。センスとは、すなわち美しくなる才能であることも。
それにしても不思議。なぜ、センスがないと女はキレイになれないのか……。せっかくのキレイも失われていってしまうのか? おそらくセンスは美意識そのものであると同時に、“黄金比率”のような美の証を無意識に形づくるバランス感覚だからなのだと思う。
“黄金比率”とは言うまでもなく、A4とかB5、官製ハガキに見られるタテとヨコの比率。歴史的建造物から、名画の構図、花や貝など自然界の動植物に見られる構造的特徴まで、本当にいろんなものに共通する比率は、人が見てもっとも美しいおさまりを示している。それこそ優れた建築家や画家は、ちょうど“絶対音感”のように、誰に教えられるでもなく、定規を使うでもなく、感覚だけでバランスを再現する能力が備わっているのだ。それこそがセンスと言ってもいい。
つまり大人になって見違える人は、そういう“絶対音感”みたいなバランス感覚を持っていて、だから毎日毎日鏡の中の自分に“人が見て最も美しく見えるバランス”を、知らず知らず再現しているから美人になれるのではないかと思うのだ。
たとえば、グレース・ケリー。子供の頃の映像を見ると、まったく別人。ところが成長するにつれ、美人女優グレース・ケリーの顔に近づいていく、それ自体、美意識という“絶対センス”が働いた結果なのではないかと思ったのだ。
その証拠に、子供のころ父親が姉ばかりに期待をかけ、自分はまったく何の期待もされていない子供だったと、グレース本人が語っている。それがモナコの皇太子から見初められるくらい品格ある美しさを成立させてしまうのだから見事。知性とセンスがあれば、人はいくらでも美しくなるのだ。
特に子供の時、キレイに対するコンプレックスを持っていた場合ほど、大人になって美人になっていくケースが目立つのも、そういうコンプレックスを持つ子供ほど、美意識も知的レベルも高いからなのだ。天性のセンスがないと、美へのコンプレックスも持てないということ。
どちらにせよ、女はセンスがないとキレイになれない。そして何より、女はセンスがないと“尊敬されない”という、もうひとつの法則を知っておくこと。今インスタグラムなどで驚異的なフォロワー数を誇るのは、“私服のセンス”に優
れるか、さもなければ料理のセンスがスゴイ人。だから、どちらのセンスも人並みはずれたローラあたりは、今後ますます世間の女たちから尊敬されてしまうのだろう。かくもセンス至上主義の時代であること、早く気づくべきなのである。
そして人は、センスがあるほど歳をとらない。
〝がむしゃら〞より〝センス〞の勝ち
今や40代にしか見えない60代はざらにいる。そして、年齢不祥の80代も少なくなくなった。つまりもう、年齢よりいくら若くても、誰も驚かない時代になったと言っていい。
となると、問題は“若さの質”ということになり、逆に不自然なほど若いのはリスキーとなる。たとえ驚くほど若くても不自然には見えない、さり気なさこそがマストの時代となったのだ。
美少女をちゃんと美人に育てるのは“センス”だと言った。女を美しくするのは、「美意識×知性=センス」であると……。じつはアンチエイジングのカギもやっぱり、このセンスにあったということなのだ。ハリウッドでもボトックスの打ちすぎや、“注入のしすぎ”がゴシップ誌を騒がせるような時代になっている。名指しで打ちすぎ、入れすぎが批判されるのだ。天下の美人女優ニコール・キッドマンや、かつて“ラブコメの女王”と謳われたメグ・ライアンなどその常連。繰り返し“不自然な仕上がり”を取り沙汰されていて、美容医療先進国ほど“不自然さ”を許さないことを物語る。
もちろんそれは最終的に、クリニックの医者の腕が悪いということになるわけだが、やはりそれ以前に本人のセンスが問われてしまうことになる。“打ちすぎ”、“入れすぎ”ほどダサイことはないというふうに。だからまず、バランス感覚こそ若返りの絶対条件ということになる。
そういう意味で今、改めて輝いているのが萬田久子さんであり、夏木マリさんだろう。この人たち、特に年齢にフタをするわけでもなく、堂々としていながらその年齢にはとうてい見えない、圧倒的なモードに身を包んでいる。それが、少しも不自然ではないのだ。なぜなら、人並みはずれた
センスがあるから。
さらに加えて、萬田久子と夏木マリはズバ抜けたセンスを見せつけるように、攻撃的とも言えるファッションを次々に見せてくれる。その攻めのオシャレは、若い女がやると、ただ奇をてらっているようにも見えてしまうが、“充分な大人”がやると、何だか妙にカッコイイ。オシャレのキャリアを存分に積み、人生経験をたっぷり積んだ人だからこそ、20代もやるような、そういうオシャレにすら不自然さがない。それどころか、そっくりそのまま重厚なセンスに結びつく。
つまり、センスさえあれば、50代60代がどれだけ過激な服を着てもいいということなのである。むしろ、チャレンジすればするほど、それがそのまま尊敬につながるということ。ましてや、センスさえあれば、たとえ美容医療にどっぷり浸かっていたとしても、決して不自然に見えないバランスのいい仕上がりになるわけで、じつはセンスこそ、アンチエイジング最大のカギになるのだ。
不思議なことに、歳をとるほどに“派手”が似合うようになる。派手なら派手なほど、カッコよく見える。それは先ごろドキュメンタリー映画が公開となった世界最強、94歳のファッションアイコン、“アイリス・アプフェル”の存在に明らか。センスさえあれば、100歳になっても世界一カッコイイ女になれるという生き証人。ぜひとも今から美の“センス至上主義”、頭にたたき込んでおいてほしい。美容だけにがむしゃらにならないセンスこそが、じつはキレイになる絶対の肝なのである。
美的6月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。