向坂くじらさん連載「そうでないものの美」 Vol. 03
詩人・小説家の向坂くじらさんによる連載、第3回目のテーマは「見えないものの美」です。
Vol. 03/手つかずなものの美
夏の便箋
直方形がいちまい
机に白い空き地をかまえたとたん
頭のなかにしまってあった
芽という芽があふれて
手紙は ひと文字も進まない
向かいの家は解体を終え
あとには土の直方形と
あっちゃこっちゃに生してくる
わーいわーいの草たち
白紙のきよらさ
なにか いいたいと思うほど
世界はあっちゃこっちゃ
ほんとは あげたい
わたしの
まぶしい空き地
花の空き地
手紙は
ひと文字もすすまない

二泊三日の旅行を終えて帰ってくると、キッチンで豆苗がのびのびとしていた。文字通りのびているというだけでなく、みずからの重みで垂れ下がり、無数の手足を広げて、辺りをまったく我がものとしている。先っぽにはツル性植物としての本来の姿を思い出させるような細いくるくるまきまで生えだして、シンクへ侵食しそうな勢いだ。
食べたあとの根っこを栽培しようと水に浸けたのが数日前、確かに、もう食べごろというくらいに育ってきてはいた。しかし三日ほど人目をのがれただけで、こうものびのびとするものか。もの言わぬ豆苗になんだか気おされて、見入ってしまう。パックにくるまれてスーパーで売られていた豆苗ひと株に、しかし人間の力を超えたものがひそんでいたのを、目に見える形で知らされた気がした。
ところで、わたしは腕や足や指の毛を剃らない。思春期に一度だけ剃ってみたけれど、それきり。ときどき理由を聞かれて困る。肌が弱いとか、多忙とか、言い訳できなくはないけれど、それらが解決してもやっぱり剃らないだろう。生えっぱなしの自分の毛を、ときに自分でめずらしがって、しみじみながめる。かっこいいと思っている。剃らずにいる自分自身ではなく、もの言わず毛を生やしつづける自分の手足そのものが、かっこいい。ふしぎな言い方になってしまうけれど―人間の力を超えたものが、当の人間の中にも隠れているのかもしれない、と思えて。
そうそう、旅行先で久しぶりに会った小さな甥は、六歳になっていた。はじめて歯が抜けたと言って、むきだしの歯ぐきを見せてくれた。
\過去連載もお見逃しなく!/
「そうでないものの美 」
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。
さきさか・くじら/慶應義塾大学文学部卒。国語教室「ことぱ舎」主宰。詩集『とても小さな理解のための』(百万年書房)『アイムホーム』(百万年書房)など多数刊行。小説『いなくなくならなくならないで』『踊れ、愛より痛いほうへ』(河出書房新社)が芥川賞候補に選ばれている。