【齋藤 薫さん連載 vol.93】首相夫人のベルスリーブの白いドレスは、なぜあれほどバッシングを受けたのか?
ドレスコードや、色んな場面におけるマナーについてあなたはふさわしい選択や行動が出来ていますか?何が正解なのか悩んでしまうことも多い中、今回は、私たちが身につけるべきマナーについて、薫さんに教えていただきます。
首相夫人のベルスリーブの白いドレスは、なぜあれほどバッシングを受けたのか?
滅多に見られぬ国賓のドレスアップを、一堂に見ることができた即位の礼で、にわかに話題となったのは、クライマックスで一瞬だが見事な虹が出た奇跡と、安倍首相、昭恵夫人の白いドレスだった。
ベルスリーブと呼ばれる釣鐘型の大きな袖が強烈なインパクトを放つ膝丈ドレス。実際映像を見た人は、いろんな意味でハッとしたはずだ。あらまぁ素敵なドレス、そう思った人。ちょっと派手すぎない? と思った人。この席にこのドレスは、あり? まずくない?そう思った人。様々だったが結果的には、違和感を覚えたと言う声が集中したのだ。結論から言って、ドレスコード的には間違いじゃない。デイドレスはオーケーだから、座った時、膝が見えてしまっても問題は無いのだ。とは言え、ここまで話題になるのは、やはりこの日の装いとしてふさわしくはなかったと言うことである。
服は怖い。間違いではないのに、ここまで糾弾されてしまうのだ。マナー違反でなくても、浮いてしまう。雰囲気を壊す。それだけで充分罪なのだ。とりわけこうした席の場合、空気感が大事だから、ひとりひとりに責任がある。逆にひどく気の毒に思えたのも、自分だっていつその罪を冒すかわからないからなのだろう。何かの大きな集まりでは、全員が不安だ。みんな一体何を着て行くの?この服で浮かない?派手すぎない?地味すぎない? 会場に入るまで不安は続く。間違いでなくとも違和感を放つだけで失敗と知ってるから。服は取り返しがつかないし、言い訳もできない。終わるまで侮蔑的な視線に耐えなければいけないのだ。しかも過ちを償うこともできない。どんな服を着たのかは自分自身の歴史。書き直せない歴史なのである。逆を言えばみんなそういう目で他人の装いをチェックしている。なんと恐ろしいのだろう。
もちろん、女はいつだってオシャレでありたい。あの人、素敵と言われたい。その日の昭恵夫人もそうだった。そもそも大きな釣鐘袖はまさに今のトレンドだ。あれでロングだと大げさだから膝丈、という具合にバランスも取れている。パーリーな光沢ある白無垢素材も含め、それ自体は本当に美しい服。もしも首相夫人でなければ、最前列でなければ、ここまでの違和感を指摘されなかった? いや、現場ではどこに座ろうと、違和感は違和感。女は常に空気感を作る責任を持たされていることに変わりは無いのだ。女は景色の一部なのだから。
じゃあどうしたら過ちを避けられるのか。まず一度欲を捨てることである。目立ちたいとか、素敵、綺麗と口々に褒められたいとか。他に主役がいる場合は、着る傲慢さを少し抑えて、その場の空気を壊さぬためには何を着たらいいかと言う想像力を働かせる。自己主張より、その場の空気を良くするため、言うならば“お遣い物”を持っていくような気持ちで服選びしたい。相手の口に合いそうな、気の効いたものを持っていくような服選びを。でも逆に無難すぎるものだと、何も考えずにただ持ってきただけになるから思いが伝わらないし……、みたいに。
あの即位の礼でも、和服は全く失敗がないし空気も壊さないが、安全策に見えて損、失礼ながら無難すぎた。だから昭恵夫人は釣鐘袖を選んでしまったのだろうが、絶賛を浴びたのは、深緑で極めてシンプル、肌見せもないストンとしたロングのチューブドレス(麻生大臣夫人)だった。一見地味、でも洗練が光る、地味キラな一着だ。実は無駄を削ぎ落とした極端にシンプルな服ほど派手でもあるが、それこそが洗練の極み「地味派手」なのだ。場馴れした人ほど、皆口をそろえる。華やかな場面ほど結局リトルブラックドレスのような「地味派手な服」の勝ちであると。ちなみに即位の礼で黒はナンだからと深緑にした判断もまたお見事。
服選びのセンスは、人として、女としての質を問われるだけに、ぜひとも覚えておきたい。トレンド&インパクトなドレスを選んで、明らかに人目を引いた分だけ、リスクを背負ってしまった人のケースを反面教師にして。装いはおもてなし。相手を、その場の空気を心地よくするものでなければ、喜ばれる女にはなれないと。
『美的』1月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環
※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。