向坂くじらさん連載「そうでないものの美」 Vol. 05
詩人・小説家の向坂くじらさんによる連載、第5回目のテーマは「予期せぬものの美」です。
Vol. 05/予期せぬものの美
炎天
歩いていて
ふいにだれかが出現する
あ
ぶつかる
よけようとすると
相手も同じ動き
いたわりあいながら同時に
責めあってもいるような
体ふたつ 鏡うつしの炎天の
時間がとまっていく
ほんとにだれもいなかったのだ
ぶつかりそうになるまでは
それはたしかなことだったのだ

さんぽが好きなのは、なにげない植物のつくる風景が好きだからだ。たまたま出会ってはっとおどろいた草木があると、また見に行ったりする。けれどそのときにはもう、はじめてのようにはおどろかないことがある。そのふしぎさ。変わらずきれいなのに、なにか違う。風景ではなく、わたしのほうが変わったのだ、と思う。きれいだろうとあらかじめわかって見にきたせいで、わたしにはもう、きれいだということしかわからなくなってしまった。そこでこぼれおちているなにかを、ずっと見たいと思っている。予期していない目でしか出会うことのできない、なにか。そのものの、それ自体、というような、空白を指す指示語でしか書きあらわすことのできない、そのなにか。さんぽ、というより徘徊、は結局、そのためにしているのだった。
……と、ここまで書いた日、わたしはめずらしく車で出かけ、そうして、警察のお世話になった。事故ではない。駐車しようとして変なところにはまり、こうなったらどう動かしても隣の車にぶつかると悲観して、警察に助けを求めたのだ。「事故を起こす前に、あらかじめ警察を呼ぶ」ことになったわけだ。日々がナンセンスに呑まれている。駆けつけた警官に指示してもらい、なんとか隘路(あいろ)を抜け出したときには、汗だくだった。蒸された頭で、なーにが、空白じゃい、と思う。予期せぬものは、こんなにありありと、剣呑(けんのん)にあるじゃないか。
そうしてやっとそのすがたが、うっすらとでも浮かんでくる。出会おうと思っても出会えないのに、かといって出会わないでいることもできない、それ。あっちこっちで口をひろげて、確かにあるそれ。そう思ったらおそろしいような、頼もしいような気がしてくるのだった。
\過去連載もお見逃しなく!/
「そうでないものの美 」※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。
さきさか・くじら/慶應義塾大学文学部卒。国語教室「ことぱ舎」主宰。詩集『とても小さな理解のための』(百万年書房)『アイムホーム』(百万年書房)など多数刊行。小説『いなくなくならなくならないで』『踊れ、愛より痛いほうへ』(河出書房新社)が芥川賞候補に選ばれている。