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2017.6.22

【齋藤 薫さん連載 vol.63】「見た目」は、自分で変えられる!

巷で話題の「人は見た目が100パーセント」「人は見た目が9割」、それって生まれながらの美人が得なのでしょうか? いえいえ、このふたつが提唱している「見た目」とは、単なるキレイな容姿ではなく、顔の表情や姿勢、声や発声など、内面からにじみ出る美しさが大事ということ。自分をどう見せたいか、その為に何をすべきか…その気づきがあれば「見た目100%」に近づくことも夢ではありません。

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「人は見た目が10割」を、どういう風に読み解くか?
そこで人生の損得が大きく変わる

「人は見た目が100パーセント」というアニメ発のドラマで、見た目を気にしない、だからモテたためしがない主人公を、桐谷美玲が演じて物議をかもしている。いくら見た目に構わなくても美人は美人、オチが目に見えていると。「人は見た目が9割」、から始まった〝見た目〟ブームはその後、「女は見た目が10割」と言うヒット作を生み、見た目100アニメまで生んで、それぞれ違う角度から〝人は結局見た目〟と言う真実に迫っている。

で、件のドラマはそのものズバリ、美人は得だよねと言う話で、それを美人が演じることの白々しさや、身も蓋もなさが問題になっているわけだけれど、でもここで気づくべきは、先天的美人より後天的美人の方が偉いという真実。だから誰にでも変えられる運命と変えられない運命があると知ることなのだ。

極端な話、人間の顔の中にも変えられる部分と変えられない部分がある。鼻は無理でも、目の大きさや眉の形、もちろん肌はいくらでも変えられる。口元は無理でも歯の矯正はできる。その気になれば骨格も、メリハリを強調したりは十分に可能なわけで、そういう意味で顔は変えられる運命。同様に、人には変えられるものが山ほどある。体型だっていくらでも。変えられないのは、背の高さと靴のサイズくらい。そして何より〝印象〟は、ハッキリ言ってそっくり自分の思い通りになる。美人に生まれなくたって、美人のふりなどいくらでもできる。美人ふうという雰囲気を作ればいくらでも。

だからこそ、見た目が100%と言うならば、変えられるモノに対して、できる限りのことをしましょうという話なのだ。誰が見た目で得をし、誰が損をするという話ではない。むしろ運命を上手に変えた人が得って話。むしろ、見た目の力を良く知った上で、どこまで人生に生かしていけるか? それこそが女の能力の差であるという、世の理も説いている。

ヒロインをずるいと言ってしまうとそこが完全に歪んで、本当に損をするのだ。本来が、見た目の力に気づいていない、損な女たちの話なのに。ことにヒロインは、別段どこも変えなくたって良い運命に恵まれているのに、それに気づかない最も損な女に他ならないのだから。

正直言って、〝宝の持ち腐れ〟的なこの手の損なタイプは、世の中にいっぱいいる。ほんの少し磨くだけで、むしろ気づくだけでいいのに、それができずにそのまま歳をとっていく人が本当に少なくないのだ。まるで親の遺産に気づかずに細々と暮らしてしまう残念さ。逆に遺産はほとんど無くても、小さなお金を大きくしたり、自らの手で成功を勝ち取ったりする方が女として優れていないか。むしろ変えられる運命を巧みに変えて、人生を切り開く〝後天的美人〟の方が10倍優れていないか。そういう意味で、人生を最速で切り開く教科書と言ってもいい『美的』の読者は、だから〝先天的美人〟はずるいなんて絶対に思わないはず。

女って不思議。自分が美しいことを知らない人は、どんなに顔が整っていても美人に見えない。もちろん、少女の頃は別。自分の美しさに気づかない美少女ほど、透明で無垢な存在は無い。でも、美しさの意味や自分の美しさに気づく事はある意味、女の社会性。それに気づかずにボーッと生きてしまうのは、社会的無知と言うほかない。そういう意味で、遺産を無駄にするのは愚かなこと。大人になっても社会のこの仕組みを知らないのは、無垢ではなく無知。「見た目100%」も、それに気づくための法則なのかもしれない。

ほんの数秒で、人を虜と りこにし、
酔わせてしまう女の正体に見る、見た目が9割説

ところで「人は見た目が9割」と最初に言った著書は、そもそも何を語っていたか。なぜ9割で、後の1割は何なのか?ちょっと振り返ってみると、そもそも〝美人が得〟と言う話では全くない。人が対話によって他者を魅了する場合、話の内容は7%に過ぎず、93%はその他の要素だと言う気づきがこの本のもとにある。

それも、ここで言う「見た目」は単なる容姿ではなく、顔の表情や姿勢、声や発声、仕草や距離感みたいなものが大事だという提唱だった。もちろん何となくわかってはいたけれど、それが9割を占めるとは? 「人間、外見ではありません。大切なのは中身です」。女性誌でさえ、その道徳的な教えを延々と訴え続けてきたわけで、この少々白々しい精神論を真っ向から否定してくれた功績はとても大きかったが、逆に言えば、大切なのは中身よねと言うことを言い訳に、外見を磨く努力を怠ってきた者にとっては耳の痛い話になった。

いや、これは〝有形無形の魅力〟と言う曖昧なものの大切さを語っているわけで、いっそ人間はカタチです、と言われたほうがまだ簡単かもしれないくらい。少なくともこの本では、9割のほとんどが後天的なもの、というアプローチ。もちろん初対面の数秒で人は人を評価してしまうのだから、顔立ちや体型が印象を左右しないわけがない。でもやっぱりそれだけでない、髪型やファッションも含めて自ら作った自分という存在の力が人を惹きつける絶対の鍵になるわけで、やっぱりその探求を後回しにしてはいけないのだ。

女の場合は、その気配のような魅力そのものが、イコール〝内面の美しさがにじみ出た結果〟という風に訳してもよく、やはりこの、形があって、ないような魅力の確立に、もっと本気で取り組まなければ。

この本の著者も、映画や漫画の演出法に絡めてこれを語っているように、映画の中のこの上なく魅惑的な女は、そういう意味での最も明快なお手本となるのかもしれない。例えば「ミッドナイト・イン・パリ」のマリオン・コティヤール。1920年代のパリに生き、ピカソやモディリアーニからも、ヘミングウェイからも、そして現代からタイムスリップしてやってきた小説家にも、あらゆる男に恋をされてしまうアドリアナと言う女性。実在の人物が出てくるこの映画の中でも唯一架空の人物と言われるけれど、女の立場からも、この人が持つ気配の魅力に酔わされる。そう、まさに〝人に酔う〟と言う感覚がこの人によって湧き出て来る。それも、初対面のほんの数秒で。

もちろん美しいけれど、それだけではない、まさに気配美。香りのように見えない力に引き寄せられて、ホワッと体を包まれる。暖かくて、甘やかで、しかもちょっとだけスパイシー。それはまさにその人の表情や声や仕草や距離感から生まれるものなのだ。

この映画のアドリアナを見て、「見た目が9割」の本を思い出した。柔らかい笑みをかすかにたたえた口元。相手をまっすぐ見るうるうるした大きな目。初対面の常識よりも少しだけ近い距離感。相手を優しく包み込むような柔らかくゆったりとした仕草。そうやって分解していくとわかるけど、これは要するに相手への集中力に他ならないのだ。

この映画ではアドリアナもまたこの主人公に恋をする展開になっていくが、モテる女は要するに、ほぼ全身全霊で相手と向かい合う、だから好感自体が相手にすぐ届いてしまう。最低でも20%は相手を好きになる。それが見た目に現れ、相手を酔わせるということなのだろうから。

見た目と言っても、やっぱりここは心模様。それが内面と言うならば、やっぱりそれも内面の美しさ熱さに他ならない。見た目への気づきが内面の魅力につながる、その人自身の魅力が何倍にも増す、そんな気づきにしてほしい。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレッ クス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

美的7月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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