ヘア&メイクアップアーティストとして活躍する 野口由佳さんの〝イツカ〟
この記事は、実在する人物をもとに、その人の「いつか」を見つめて創作した
“未来の自分を想像する” ストーリーです。
<ヘア&メイクアップアーティスト 野口由佳さんProfile>
森ユキオ氏に師事し、2012年に独立。ROI所属。女性誌のファッション&ビューティページではバランスが絶妙なヘアメイクを手掛けるほか、タレントや女優からの指名も多数でテレビや広告などでも活躍。
「私の〝イツカ″は、さみしかった〝カツテ″と、自分を見つめた〝イマ″に支えられています」
2031年11月。
私・野口由佳は、伊豆半島の突端、海が見下ろせる高台の老人介護施設にいた。
秋の陽射しが降り注ぐラウンジに、ゆっくりと車椅子のおばあさんがやってきた。
介護の方に事前に聞いていた。
吉岡もとさん、94歳。
頑固で毒舌。周りのひととうまくいかず、いつも問題を起こしている。
今日の夕方。二年ぶりに彼女の娘さんが会いに来るという。
介護の方が、「メイクしてもらえば?」と提案。
最初はしぶっていたが、「そんなに言うなら仕方ないねえ」と
承諾したそうだ。
私は、10年前に、医療メイクの学校に通い、コツコツと勉強を始めた。
『ケアビューティスト』という言葉が世の中に浸透していた。
昨年から病院だけではなく、週末はボランティアで老人介護施設を廻り、
ヘアメイクしていた。
もとさんは、不機嫌そうに私を見たけれど、
すぐに、わかった。
「このひと、悪いひとじゃない。ただ、さみしいだけだ」
そっと頬に触れたとき、彼女の体温と共鳴した。
嫌がっているはずなのに、自ら進んであごをあげてくれる。
メイクを始める。
私は美容のチカラを信じていた。
私自身が、助けられたから。
自分が経験したことしか、信じられない。
美容という『魔法』は、もとさんを変えていく。
メイクを終え、丸い手持ちの鏡を渡す。
彼女は言った。
「あなた、名前は?」
「野口です」
「なんで、この仕事やってるの?」
「そうですね・・・好きだから・・・あとは、
自分だけの扉が、開くような気がするからです」
思うまま、正直に答えた。
もとさんは、小さな声で、でもハッキリと言った。
「今度は・・・いつ、来てくれるの?」
「メイクは、心の扉を開く『魔法』だった」
私、野口由佳は、幼い頃、川辺で遊んでいて、
思った。
「どうしてこの小さな石は、丸いんだろう。おうちの庭の石は、
丸くないのに・・・。石は放っておいたら、勝手に丸くなるのかな」
子役をやっていた小学生の頃、すでに絶望を知った。
遠足も運動会も、参加できない。
修学旅行も友だちと遊ぶことも、無理。
自分には何か『特別なもの』がないように思えた。
芸能界で、それは致命的。
コンプレックスが、池に落ちた水面の波紋のように拡がる。
石が勝手に丸くならないことを知ったのは、社会に出てから。
川岸にぶつかり、水底にこすれて、ようやく石は丸くなっていく。
いつしか、自分からガツガツ前に出られない性格になっていた。
「自分らしく」と言われても、わからない。
個性を出せと背中を押されても、前に一歩踏み出せない。
そんな私にとって、クルマの中は、数少ない、自分でいられる時間だった。
好きな音楽をかけ、今日一日のスケジュールを確認する。
早めに駐車場につくと、たまっていたメールを返し、心を整理した。
ヘアメイクの仕事は大好きだった。
やればやるほど、奥が深い。自分に合っていると思えた。
不器用な自分。絶望を知っている自分、もしかしたら、
そんな自分だからこそ、心を開いてくれるひとがいるはずだ。
メイクは、心の扉を開く『魔法』だった。
「焦らなくていい。自分にやってくる試練は、乗り越えられるからやってくる。自分の〝カツテ″と〝イマ″を信じて、前に進もう」
都内のとある病院に、自分の部屋をつくってもらった。
病院は、怪我や病気を治すだけではなく、心のケアにさらに
重きを置くようになった。
メイクの重要性に気づいた、その病院の院長は、どこよりも早く、
医療メイクにチカラを入れた。
患者さんの心に向き合う日々が、続く。
医療メイクの現場は、ますます重要になり、私はさまざまな場所で
講演を依頼された。
何度やっても、緊張する。
自分なんかが、こんなふうに壇上で話していいものかと自問を
繰り返す。
でも、と思い直す。
そこに、自分を求めてくれる現場があるかぎり、一生懸命、
それに応えよう。
いつしか、私という石から角がとれていく。
丸く、丸くなっていく。
「焦らなくていい。自分にやってくる試練は、乗り越えられるからやってくる。
自分の〝カツテ″と〝イマ″を信じて、前に進もう」
スマホにLINEが来た。
伊豆半島のおばあさん、もとさんからだった。
「いつ、来るの?早く、会いたい」
駐車場に向かい、私は、クルマに乗り込んだ。
野口由佳さんの”イマ”のストーリーはこちらから!
美容は心も磨いてくれる。
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撮影/舞山秀一