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2016.4.23

【齊藤 薫さん連載 vol.49】女が女に憧れる絶対条件とは――

女は男よりもはるかにシビアで、美しさやセンスの上っ面だけの女には魅力を感じません。
女が正統に女を評価する条件には、〝心のまともさ〞も関係しているようです。
今月は、女を感動させる女になるための心得を薫さんに語っていただきます。

かおる女_ILL

女が女に恋愛感情にも似た感情を持ち始めた時代。
誰が誰を魅了するのか

今春公開された話題作「キャロル」は、端的に言ってしまえば、同性愛をテーマにしたラブストーリー。しかし、時は1950年代、女性同士の恋愛が許されるはずのない時代、それはその分とても美しい純愛物語として描かれている。
確かに衝撃的な内容ではあるけれど、女性同士の恋愛を描いたこの手の映画、実は最近にわかに目立ってきている。それこそひとつのトレンドと言えるほど。
厳密に言うと、男同士の同性愛を描いた映画もこの10年一気に増えているが、それはなぜか〝アカデミー賞にやたら強い〞と言われることがひとつの引き金になったかもしれない。例えば「ミルク」や「ブロークバックマウンテン」、「イミテーションゲーム=エニグマと天才数学者の秘密」などのオスカー受賞作は、さりげなくホモセクシャルの苦悩を描いていた。少なくとも今、同性愛を〝純愛のひとつの形〞として特別なものではなく描くのが、映画の未来を切り開く鍵なのだろう。男女の恋愛話は、考えうる全てのケースを描ききってしまったから。
だから、映画で描かれる女同士の恋愛にも、レスビアン色はなく、一目惚れはしても、相手の類稀な魅力にやむにやまれず魅了されていくという形。誰にでも起こりうる事態として描かれる。つまり夫がいても、恋人がいても、とてもシンプルにそれ以上に心を動かした相手が、たまたま女性だったという描き方……。
今の日本はまさに、男と女があまり恋愛をしない時代。女は女同士でいる方が、ずっと楽しいと言ったりする時代。同性愛とは違う意味で、同性に本当の意味で魅了されるのは、もはや少しも奇妙なことではない。モデルに熱狂するのも同じ。宝塚のファンになる以上に、日常的な感情になっているのだ。昔はよく小説等に描かれた、女子校の後輩が先輩に抱く〝エス〞のように。〝友情〞以上〝恋愛〞未満の「好き」が。
さて映画「キャロル」の成功は、キャスティングとスタイリングにあったと言ってもいい。ゴージャスなのに気品があり、知的なのにミステリアスで官能的な年上の女は、ケイト・ブランシェットが演じ、ピュアなのに奥行きがあり、やはりどこかミステリアスな年下の女は、ルーニー・マーラが演じたが、この人たちでなければ女同士の一目惚れは、もっと安っぽいものになっていたはず。女は女の完成度に心を打たれ、薄っぺらい女には心を動かさない。女としてほとんどのものを持っている女にどこか恋愛感情に似た感動を持つのである。あくまでも奥行きある重厚感にこそ、憧れを持つのだ。そういう意味でこの2人の女優こそ当たり役。またそれぞれの洗練されたファッションも、見事に同性を魅了する決め手だった。女はその洗練に知性を見て感服する。女が女に憧れる絶対条件なのだ。
女性たちのカリスマになる女性は、単に美しさや可愛さだけで女を惹きつけるのではない。その美しさや可愛さを作る〝能力〞そのものへの拍手が半分。どんなに美しくても、どこか野暮ったく安っぽかったら、女は女を絶対認めないのだ。ライフスタイルそのもので注目の的となるカリスマも、生きるセンスへの尊敬を受けるわけで、女は〝女として生きていく才能〞をひっくるめて恋をするということなのだ。お料理教室の先生がそのまま地域のカリスマとなるように。
女に〝友情〞以上〝恋愛〞未満の感情を持たれるって、まさに女冥利に尽きること。中身も含めて極上の女である証なのだから。ゆえに目指したい。恋愛にも似た尊敬を得る女を!

女が目覚しく進化して、女が女を見る目も大きく進化。
だから女同士が密になった

「女が好きな女」、「女が嫌いな女」のアンケートから炙り出されるのは、とても単純に、女は〝唯我独尊の女〞に対してとりわけ厳しい目を向け、徹底的に糾弾し「嫌い」と言う投票で、ここぞとばかりに吊るし上げること。とは言え、「嫌いな女」の顔ぶれを見ると、その基準はそう単純ではないことがわかってくる。つまり女は女を、実によく観察していて、〝歯に衣着せない女〞は嫌いじゃないが、〝上から目線でもの言う女〞は嫌い、と実に明快な境界線を引いているのだ。
例えば一見サバサバしているのに、スパッとしているのは、ちょっと乱暴な話し方だけで、話している内容は結構ネチネチ、よく聞くと人の悪口ばかりを陰湿に喋っているタイプもあって、そこに最近は明快な線を引くようになったということ。
ここで何が言いたいかと言えば、女同士の関係が昔よりも密になってきたのは、女は男よりもはるかに進化していて、社会人としてちゃんと成熟したうえに、女性としての人格も明らかに成長を遂げていて、それを見抜く女性たちの目もまた進化してきているからだということ。
だから一見同じように我儘に見えても、許せる我儘と許せない我儘とにはっきり分けていて、例えば女優やアーティストの場合、仕事の完成度を高めるための我儘はもちろん許せるが、人に迷惑をかけまくる我儘は許せない、その線引きが今明快になってきているのだ。
そういう意味で、今、好感度を急上昇させているのが、実はレディー・ガガだったりする。これまでの奇抜の10乗位の奇妙なコスチュームは、あくまで表現上の我儘で、最近とみにオーソドックスになって、実は全然我儘じゃないことが判明。と言うより、生肉着ちゃったりする過激が我儘イメージを勝手に作り上げていただけで、もともと人格的にはまとも。少なくともライブで2時間3時間の遅刻をして5万人に5万個の迷惑をかけるみたいな事は一切しない人。確かにディーバたちの遅刻は半ば慣例化していて、マライアにマドンナはそういう意味で常習犯。若手の遅刻クイーンはリアーナで、3時間遅刻しても謝らないことで有名。ディーバは女優と違って、常に数万人のファンが目の前で熱狂するのを見ているわけで、自分は神以上の存在であると錯覚するから、女優たちとは次元の違う我儘になりがなのだ。しかし、遅刻もドタキャンももうさすがに時代遅れの我儘となっていくのだろう。
というのも、今まさにトップを行くディーバ、テイラー・スウィフトが全く人に迷惑をかけないタイプだから。精神も生き方も安定した心優しいディーバが天下をとれば、もうルールを守らないカリスマはどんどん許されなくなっていく。テイラー・スウィフトは、今回のグラミー賞でも4冠に輝き、若くして頂点を極めたのに、少しも我儘じゃない事それ自体が感動を呼んでいる。とりわけ女性人気が高いと言われるのも、美しさやセンスだけでなく、やっぱりこういう〝心のまとも〞と人に迷惑をかけない根本的なマナー、人としての最低限の優しさや思いやりみたいなものが、彼女の綺麗な歌声に乗って、耳とか、胸とかに響いてくるからこそのもの。
いずれにせよ、女が女を正当に評価する時代。女という性が目覚しく進化したからこそ、女を人としてきちんと評価する時代が始まってしまった。従って、ごまかしがきかない。美容だけでもファッションだけでも、真面目だけでもダメ。存在まるごとで女を感動させるような女にならなきゃ!

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。新刊『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)他、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)、『The コンプレッ クス 幸せもキレイも欲しい21人の女』(中公文庫)など多数。

美的5月号掲載
文/齋藤 薫 イラスト/緒方 環 デザイン/最上真千子

※価格表記に関して:2021年3月31日までの公開記事で特に表記がないものについては税抜き価格、2021年4月1日以降公開の記事は税込み価格です。

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